例えば、自分にとって、快適な空間をデザインし作る事が重要だとしたら、その快適空間で、美を追求する事が、目的になると言っても過言ではないように思います。
美への追求は、快適さと喜びの循環を作ってくれるように感じるし、そのまま、幸せにつながっているように思います。
美は、確かに、自分自身を無理にその方向に動かそうとしなくても、また、無理やりに自分に押し付けようとしなくても、自然と自分自身に立ち現れ、自分自身を美が見出してくれるようなものではありますが、とは言え、単に待っているだけでは、自分にとっての美がやってきてくれるのかというと、それは分かりません。
自分自身による学びや経験、また、教養。そして、知識もそうだし、実践もそうですが、それらが、自分自身の考えや価値観、思想を育てるわけで、また、美を生み出すわけです。
ですから、ただ何もせず、ぼうっとしているだけでは、美はある意味単純なものだったり、薄っぺらなものだったりするかもしれません。
その意味で、美への追求は、平易に言えば、努力が必要であるとも言えるわけです。そして、逆に言えば、いかに美を追求するかが、より良い美にとって重要であると言えるわけです。
その意味で、自分にとっての美への追求は、終わりが無いわけです。追求すればするほど、自分にとっての美は、より良く練り込まれ、練り上げられ、精度を上げるのかもしれません。
その意味で、美を追求し、美に没頭し、美に集中するわけです。それは、努力を要するのかもしれませんが、得られる対価は大きく、喜びをもたらしてくれるわけです。
ですから、美への追求はそのまま幸せに直結するわけで、その為の快適な空間をデザインすると言えるわけです。
そのような意味で、自分にとっての快適な空間を追求し、デザインし、作る。そして、その空間で、また、その時間で、解放と自由の中で、美を追求する。または、美に没頭する。まさに、その実践こそが喜びであり、幸福であるわけです。
言い換えると、快適空間の追求と、美の追求が、喜びの循環であり、美の追求が快適さと喜びの循環でもあるわけです。
そういうわけで、快適空間をデザインする。
その先に何があるのか。何をするのか。それは、自分にとっての美を追求するという事です。美に没頭するという事です。これによって、快適さと喜びの循環が生まれ、そして、幸せがもたらされるわけです。それが、快適空間を作るひとつの目的と言えるわけです。