以前に、ユヴァル・ノア・ハラリが著書の中で、これから人類は、情報科学と生物学をさらに発展させていくという事を予言していたわけですが、特に後者の生物学に対して、人の関心はますます高まっているように思います。遺伝子学や医学の産業は、実際にどんどん発展しています。
リンダ・グラットンが、人生100年時代という考え方を主張したのもすでにちょっと前の事になりますが、当時は、確かに人は100歳まで生きている人はいるけど、自分が100歳まで生きるなんて事は想定しないだろう、などと思ったりはしていたものの、今は、実際リアルに、100歳まで生きるという事を人生の設計としてはとりあえず想定するようにはなっていて、確かに、人生100年というのは、実際にそうなるかどうかは置いておいて、現実的に考える時代には入っていると感じます。
科学的データでは、人間の最長寿命は120歳までである事を示していて、現実的に、あくまで現時点ですが、120歳までに生きる事も考えられるわけです。
一方で、デビッド・A・シンクレアは、ライフスパンという本の中で、人間は150歳まで生きられる、という事も野心的に語っているわけですが、そのような未来に対しては、人はポジティブに受けいれ、希望を感じます。ですから、可能なら、そのくらいの勢いで生きていきたい、そういう思う人も出てくるわけです。
とは言え、仮に科学的に人生が最長で120歳であったとしても、出来れば健康的に生きていたいわけで、そうすると、現実的には、自分の実際の寿命を伸ばしたいというよりは、健康寿命を伸ばしたい、そのように思うわけです。そう考えると、やはり、リンダ・グラットンが言う100歳の人生設計という方が、理に適って目標になるわけです。
つまり、よぼよぼで120歳まで生きるより、健康で100歳まで生きる、という事の方が、目標になり得るという事です。
現代では、高齢者の問題として、認知症というものがありますが、多くの人たちにとっては認知を保ちながら、健康寿命100歳を目指す、という事がより具体的にも重要になるわけです。
最近の科学では、様々な本が、筋肉を鍛え、維持する事があらゆる健康により良い影響を与え、脳の神経や認知にも良い影響を与える事を主張しています。健康、運動は絶対であり、筋肉は絶対という事です。
そのようなわけで、良くも悪くも、人生100歳という事になるなら、少なくとも、認知は維持したいわけで、そうすると、身体の健康を保つ、そして、筋肉をしっかりつける、維持する、そういう事になるわけです。