毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人間の生き方の構造。神話における英雄。

キャンベル先生の神話の話は、文化人類学の面白さをよく伝えてくれます。

 

神話における英雄たちの物語は、人の生き方として非常に的を射ていて、人間がそのように生きる事が良いという事と言っているように感じます。

 

人間は、単に心地良く安全に生きるだけでは、生きていく事が出来ません。苦しみの無い人生なんて無いし、苦しみあってこその人生なわけです。仏教も苦しみを人間の人生の本質と捉えています。

 

人が幸せに生きる為に、また、ウェルビーイングな生き方として、楽に生きるというわけにはいかないわけです。

 

神話における英雄は、自分の旅に出て、誰かの助けを得たり、旅の中でのヒントを得たりしながら、自分の英雄としての生き方を見つけるわけです。

 

その生き方は、単に自分の為に生きるとか、そういう事ではなくて、自分自身を超えて、自分以外の人たちの為、自分より大きなものの為だったりします。

 

それは自分の力ではいかようにも越えがたい困難な課題だったりするわけですが、自分を越え出てその課題を成し遂げる事で、自分自身も成長するわけです。

 

その道は極めて困難で、決して楽に成し遂げられる事ではないのですが、その苦しみを乗り越える事で成し遂げるに至る事が出来るわけです。

 

その生き方は、結局苦しいけれども、幸福な生き方であり、ウェルビーイングな生き方なわけです。

 

例えば他人の英雄的な生き方というのは、自分の事でなくても、ただ見聞きするだけで自然と自分自身もエンハンスされるし、感動がもたらされます。

 

人間自身が、真に求めている生き方であり、身体に、そのような生き方が事前に備わっているような感じです。きっと、人間の生き方がそのような構造になっているのです。

 

英雄的な生き方をすると、身体が喜び、幸福が感じられるという仕組みを持っていて、その仕組み、その構造が人間としての望ましい生き方の理論的な根拠となるわけです。

 

逆に言えば、そのように生きるという理論的根拠はなく、身体に喜びがもたらされる事、感動が呼び起こされる事そのものが根拠です。

 

だから、英雄としての生き方というのは、英雄だけの生き方ではなく、人間の生き方であって、自分自身が目指す生き方と言えるわけです。

 

確かにその生き方は大変です。人生はハードモードです。ですが、そのように生きなければ、身体にとって良くないし、精神も良くなく、鬱になってしまいます。健康も損なってしまいます。

 

楽に生きたいですが、人間の生き方とはそうではないわけです。人生はハードであるし、苦しいものです。ですが、その先に、幸福があり、ウェルビーイングがあるわけです。

 

要は、皆が英雄であるという事です。