面白い言葉に、「身口意(しんくい」というのがあります。身口意とは仏教用語であり、行動・動作という意味の身と、言葉という意味の口と、思う・心という意味の意から出来た言葉です。人の生き方も人生も、この身口意によって形成されていくという事から、この身口意を意識して生きていくのが良いという事です。割と納得のいく良い言葉だと思います。
もちろん、「身」に関しては、行動することが自分の人生を決めていくというのは、言うまでもない事として理解できるのですが、自分の発している言葉が自分の人生を決めていくと言われると、「そうなんだ。でも、確かにそうかもしれない」と少し間をおいて納得する感じです。そして、思う事が自分の人生を決めていくと言われると、「何故思うだけでそうなるんだろう」と少し疑問に思ったり、「心の中で思うだけでそうなってしまうとなると良く生きるのは大変」だと感じたりします。
ですが、人にとっての人生の質や生きている実感は、行動の結果現れている事柄だけではなくて、自分の頭の中、感じている事の中にもかなりあるとも言えるので、そのような意味では、「意」としての思う事が人生に影響を与えているというのは理解できます。
そして、実際、生きていくという実践は難しく、より良く生きるという事がどういう事かが明らかであれば、皆そんなに苦労しないわけです。なので、色んな言葉を参考にして、生きる実践に応用するというのはむしろ大事なようにも感じます。
古くからある言葉は、現代まで残ってきた言葉と言えます。昔から色んな言葉、色んな表現があったと思いますが、使われなかった言葉はきっとそのまま使われぬまま消えていったと思います。ことわざもそうで、事実に沿わないことわざ、再現性のないことわざは、やはり消えていったと思います。その意味で、今でも使われている言葉から人は多くを学ぶことが出来るように思います。
歴史も同じです。歴史から人は学びます。また、歴史は科学の1つとも言えます。実証主義的科学という観点から、歴史は事実の羅列であり、そこから意味を読み取ろうとします。歴史という史実から学ぶわけです。
そのような意味で、言葉は歴史であり、科学とも言えます。残ってきた歴史としての言葉を、実証主義的態度で読み取り、意味を見出すわけです。
「身口意」という言葉もそうで、歴史的に残ってきた言葉です。それから意味を見出す事が出来ます。人は歴史や科学と同じく、言葉から多くを学ぶことが出来ると思います。