毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

散漫さから明確さへ。ジャーナリングの空間で意味を見出す。

世の中はとにかく散漫さでいっぱいです。人間もすぐに散漫になります。人間は反応性が高いですから、言い換えると、たくさんの種類のセンサーを持っているようなものですから、とにかく色んな事に気をとられ、気が散って、散漫になってしまいます。

 

そして、そういう状況では、自分は何をしたいのか、何にエネルギーを向けたいのか、つまり、自分にとっての意味を、散漫な頭のために見出せなくなってしまうわけです。

 

人間は、そもそも放っておくと散漫になりやすく、すぐに何かに囚われやすい生き物です。ですから、意識的な取り組みが必要です。

 

ジャーナリングは、そのような状況を助けてくれます。

 

自分自身と静かに向き合って、そして、ノートに向き合って、自分が何を考えているのか、何を大事にしているのか、何をしたいのか、どのような事に意味を感じているのか、そういった事を書いていくわけです。

 

人間はそのままでいると、散漫で、不明確な存在です。ですから、意識的に、自分自身が考えている事や感じている事を明確にする作業が重要という事です。

 

ジャーナリングは、自分の手でノートに言葉を書いていくので、とても集中しやすい状態になります。時間も、ゆっくりに感じます。文字をノートに書き写しながら、時間は静かに、ゆっくり流れていきます。文字と自分との間に、静かな空間が生まれます。

 

目と手と、目の前のテーブルの上のノートとの間に形成される空間が、落ち着いた時間を与えてくれます。ジャーナリングが与えてくれるこの空間で、自分自身と向き合うわけです。内省するわけです。

 

そして、自分自身が何を大事にしているのか、何に本当に意味を感じているのか、ゆっくり時間をかけて書き出していくんです。最初は何となくの言葉しか見つからないかもしれませんが、それでも書き進めていくと、気が付いたら、何かしら的確な言葉が現れてきます。

 

そのような言葉を、繰り返し繰り返し書いていくんです。きっと、自分にとって大事な言葉、重要な意味が現れます。ジャーナリングがそのような事を助けてくれます。

 

散漫なままだと、人間苦しいわけです。そのままの自分を放っておくと、散漫さに埋没し、不明確な世界を生き、人生迷子になってしまうわけです。まさに煩悩です。

 

それを、言葉は解決してくれます。ジャーナリングがそれを解放してくれます。不明確な自分を明確にしてくれます。ジャーナリングを作ってくれる静かな空間で、内省の空間で、自分と静かに向き合うんです。そして、自分にとって重要な意味を見出すんです。