自分と向き合う時間としてのジャーナリング。ジャーナリングを静かに行う事によって、自分自身を探索する事が出来ます。
自分にとって大事な事が何か、よく分からない事ってあります。ただ何となく考えるだけでは、出てこない。湧いてこない。そんな時こそ、ジャーナリングです。
テーブルの上にノートを開いて、ペンを手にして、何か思いついたことを書いてみる。何でもいいから書き綴っていく。そうすると、何かが文字として現れてくる。
無理して、何か凄い事を書こうとする必要はありません。何気なく書いたらいいんです。ただ書くだけだったら意外と書けます。無理に意味を見出そうとする必要はないんです。無理に意味のある言葉を書こうとする必要もないんです。
ただ書いたらいいんです。言葉に任せて、思いつくままに書いていったらいいんです。そのうち言葉として現れてきます。
余計な事は考えずに、思いつくままに書いていく。その事に集中するんです。集中は大事です。意識を書く事に集中させて、言葉に集中していけば、言葉は続いていくんです。
答を無理に探そうとせず、言葉を綴っていく。言葉を追いかけていく。ただ、その事に意識を向けていくんです。
言葉はあくまで媒介物です。メディアです。自分の心と、自分が向き合って、その間で言葉を紡いでいく。意識を自分の内側に向けていく事によって、心が言葉に反応するんです。
ジャーナリングは、自分と向き合う時間です。そして、自分の心とつながる空間です。その時間と空間は、自分にとっての自由な場所です。
その自由な時空間の中で、意識を集中させるんです。意識を研ぎ澄ませるんです。そのような時空間で、意識を集中させられる事が出来たら、そんなに心地良い事はありません。
そのような心地良い自分の場所で、気長に滞在したらいいんです。焦らず、無理に何かを見つけようとせず、ただ意識を集中させるんです。
その自由な時空間の中に、自分自身の何かがあります。すぐには表に出てこないですが、いつか出てきます。言葉は、それを容易には表現してはくれませんが、確かにそこに自分が探しているものはあります。
だから、心を静かにして、自分の時空間の中でジャーナリングを静かにする。十分に時間を使って、心を落ち着かせて、ただ書く。自由気ままに書く。
そうしているうちに、いつか自然で言葉として現れてきます。自分が探しているもの。それが何かは分からないかもしれませんが、きっと見つかります。