何故ジャーナリングをやりたいのかという事について考えると、幾つか理由があります。
ひとつに、頭の中の整理整頓をしたいという事です。こんまりで言うところの「片づけ学」と似ていて、頭の中の片づけという事です。片づけ学では、整理、整頓、収納が大事なんですが、それの「頭の中バージョン」という事です。
頭の中は散漫になりがちで、それだけで混乱しがち、調子を崩しがちなわけです。ですから、常にジャーナリングによって、頭の中の思考の断片を整理して、整頓したいわけです。それは、自分の為の健康維持であって、状態を良くする為です。ウェルビーイングの為です。
また、自分自身を変化させたいという想いです。自分自身を常に変えていきたい、成長させたい、そういう想いです。ジャーナリングによって何か書き続けていく事によって、新しい考えが生まれたり、自分の事についても新しい気づきがあったりします。そのようなプロセスを通して、自分自身を変わっていくという事です。
それは、進化という事でもあり、また、変容という事でもあります。そして、学習という事でもあります。学習とは、行動変容の事ですが、頭の中バージョンという意味で、頭の中の変容という学習です。
そういうわけで、ジャーナリングをしたい理由は、頭の中の整理整頓であり、頭の中の変容という事です。
また、ジャーナリングは、瞑想にもつながります。言葉を手段として用いながら自分自身と向き合う事が出来ます。そして、自分自身を知る事が出来ます。
また、自分の心を静める事も出来ます。焦っている心、不安になっている心に気付き、静めます。そのような意味で、ジャーナリングは言葉による瞑想になります。
そのようにして、自分自身を自分で保つという事です。自分を自分で維持したり、ケアしたり、コントロールする事はとても大事で、そのような事を、ジャーナリングは助けてくれます。
自分と向き合う時間をジャーナリングは与えてくれるし、その事によって自分自身の事について考える事が出来ます。
そのような事を通して、自分で自分を保ち、自立する事につながるわけです。つまり、自分に依って立つという意味で、自由になるという事です。
自由になるという究極目標に向かってジャーナリングはとても有効で、その為にも、自分の頭の中を整理整頓して健康を維持し、そして、自分自身と言葉で向き合いながら、思考を推し進め、展開させ、進化させたいわけです。それが頭の中の変容につながるわけです。