毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身体の全体性として関係性は無理なく整えられている。

人間の身体というのは、紛れもなく、人間の性質を兼ね備えていて、世の中の原理原則のようなものとも違わないわけです。

 

この世界は、すべてありとあらゆるものの因果関係から成り立っていて、相互依存の関係性によって構築されていて、因縁の関係から成る全体性と言えるわけです。

 

このような世界の仕組みを踏まえると、身体の世界も同様であるわけです。

 

身体には、骨もあれば筋肉もあり、様々な臓器もあれば血液もあるわけです。そういった様々な関係性から身体はその全体性を構築しているわけで、どれひとつこの因果関係から逃れるものは無いわけです。

 

人間性、生命性、といったものは、基本的に、そういった因果関係、因縁の関係によって全体性を構築しているわけです。

 

身体においては、そのような複雑な関係性がありながらも、バランスが取れている事が重要なわけです。

 

無理のない状態に整えられている事が重要なわけです。

 

姿勢も整えられている事が良いわけで、それは骨にとってもそうだし、筋肉にとってもそうです。相互依存関係としての、骨にとっての姿勢、筋肉にとっての姿勢、それらにとっての姿勢が、自然で、無理なく、良い関係性にある事が重要なわけです。

 

相互依存ですから、逆に言えば、姿勢にとっての骨であり、姿勢にとっての筋肉であるわけですから、良い姿勢の為に骨や筋肉も整えられている事が大事なわけです。もちろん、筋肉と骨の関係も相互依存です。

 

適切な相互依存の関係は、有機的であり、生命性を成しているわけです。

 

人間の身体は全体として生命であり、そして、各所にすべての関係が、例えば、骨と筋肉、姿勢と骨、姿勢と筋肉が、有機的であり、生命であるわけです。すべてが小さな有機的生命であり、その総体としての、全体性としての身体という事です。

 

水ひとつとっても、水はかなりの割合で身体を構成しているわけですから、身体中の水が、その全体性の関係性のうちに無いわけがありません。

 

姿勢と同じく、骨や筋肉、様々な臓器から血液、あらゆるものにおいて、水は相互依存の関係にあり、それぞれの関係が有機的に、生命的なわけです。

 

そして、姿勢も水も、ありとあらゆる身体全体を為すものは、すべて相互依存にあって、因縁の関係にあって、全体として整っている事が大切なわけです。

 

その状態は無理のない状態であるし、自然な状態であるし、ありとあらゆるものが互いにありとあらゆるものためにあって、身体はそれらの関係による全体性としてあるわけです。