毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分の一部である”自分“を、自分の一部である”自分”で大事にする。

自分を自分で大事にする、大事にしてあげるという意識は、言うまでもなくとても大事だと思います。自分を自分で愛してあげなかったら、一体誰が自分を大事にしてくれるのか、という事です。

 

もちろん、若い時、幼い時は、親や他の大人たちから大事にされ、愛されるという事で自分自身が支えられる、保たれるという事もあるんでしょうけど、歳を重ねるとともに、発達が進むとともに、自我が芽生え、「思考する自分」が形成されてくると、自分自身で自分自身を大事にするという事が可能になってきます。

 

「自分を」「自分で」という最初の自分は、自分の身体であったり、感情であったりすると思います。また、心とも言えますし、メンタルや精神とも言えるかもしれません。気持ちも含まれるかもしれません。比較的、自分自身としては無意識の領域という感じでしょうか。自分の奥底の、自分自身を支えている土台のようなもの、自分のコアという感じです。

 

「自分を」「自分で」という2番目の自分は、考える自分、思考する自分という感じだと思います。自分自身を客観視する自分、メタ認知する自分です。自分に対してより良く考え、深く分析する、クリティカルシンキングする自分です。

 

最初の「自分」も2番目の「自分」も、それぞれ自分の要素の一部です。実際には、「自分」という自分の全体性からすれば、どれもすべて自分であり、マルチな自分の全体性が自分なわけです。ある時自分の一部は、客観視する主体としての自分となり、一方ある時自分の一部は客体となるわけです。ですが、単なる主体と客体の関係ではなく、主体としての自分と客体としての自分は常につながっていて、相互に属し合っているような形で自分の中にいて、それ全体として自分という感じです。

 

そのようにして、自分の要素の一部である身体や感情を持つ“自分”を、また、自分の要素の一部である考える“自分”で、大事にする、愛してあげるという事が重要だと思います。

 

それは自立とも言えるし、自由(=自らによる)とも言えると思います。

 

そして、そのように自分の全体性としてあることによって、他人や世の中に優しくなれたり、関わっていく事ができたりするように思います。そうでないと、自分として十分でない自分、愛が足りない自分は、いつでも他人や世の中に依存しすぎる事になるし、逆に他人を傷つけてしまうようになってしまいます。それでは、世の中にとっても良くないし、何よりも自分自身にとってちっともよくありません。

 

そんなわけで、自分の一部である“自分”を、自分の一部である“自分”で大事にして、愛してあげたいと思っています。そのようにしていく事で自分自身が自由になっていくんだと思います。