毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

普通という概念から生まれる違和感から生き始める。

人は、ゲシュタルトの性質により、普通という概念を生み出します。生み出してしまいます。目の前に広がった世界を生きていく為に、普通という枠組み、普通という形を自ら作り上げるわけです。

普通という概念をくみ上げなければどうなるのか。それは、今自分の目の前に広がる世界が形成されず、バラバラの世界を生きる事になります。ですから、無意識に、自ら、普通という概念を作り出してしまうわけです。

情報は、自分の中の普通の概念を生み出す源になります。自分の中に入ってくるありとあらゆる情報の断片を活用して、「普通はこのようである」という概念を作り上げるわけです。

人が言った言葉や、メディアに流れている言葉、ありとあらゆる言葉を取り込むわけです。

これは人間が自然に行う事でありますが、同時に、自ら作りあげた普通という概念によって自分の首を絞めてしまう場合があります。

もちろん、自ら首を絞めなくても、他人の「普通の概念」によって「普通」を強制されることもあり、この事によって苦しめられる事もあります。

普通の概念は、あくまで普通の概念であって、それに自分が合致しているわけではありません。むしろ、ほとんどのケースで、自分と合致しません。

部分的に、あるいは、大部分は、普通の概念に当てはまっていても、別のある部分は、普通の概念から外れています。

ですから、その普通からの「ずれ」によって、知らず知らずのうちに苦しむ事になります。

当然、普通の概念は他人からももたらされますから、自分自身の普通の概念からの「ずれ」がずれとして認識させられるわけです。

本来、ずれは、問題ではありません。ですが、普通からのずれは、この世界に生きていながら、違和感を生みます。そして、生きづらさを生みます。

ですから、生きづらさは、たいていの人が経験します。人は多様ですから、必然的に普通からずれるわけで、同時に、違和感を生み、生きづらさを生むわけです。

人は、自分を安定化させるためのアイデンティティとして、普通の概念をアイデンティティとする場合が多いわけですが、違和感に基づく生きづらさから、アイデンティティを獲得する可能性もあります。

生きづらさは、普通の概念からのずれによるわけですから、それは、自分の特徴でもあるわけです。多様である人間にとっては当然であるわけです。必然であるわけです。

ですから、自分の特徴、自分らしさ、というものを、違和感からの生きづらさから発見する事があり得るわけです。

それは、自分自身を支える新たなアイデンティティにもなり得、普通の概念からも解放されうるわけです。

人は、そこから、ようやく、自分らしく生き始めるわけです。