人にとって、常に展開可能性がある事が重要だと感じます。自分が苦しいと感じる時、そういう時というのは、たいてい展開可能性をあまり感じられなくなっている時です。
展開可能性というのは、今の状態が停滞せず、何か変わっていくような予感がする、そういう可能性がある。そういう感じです。
具体的で明確な到達点、ゴールみたいなものでなくても、さらにその先がありそうな、そういう可能性に、常に開かれている状態が重要という事です。
そのような展開可能性があると、何かその先に期待感があって、そして、息が出来るような感覚というか、言い方を変えると、窒息しなさそうな、そういう余裕のある状態があるという事です。
まだ、自分自身に、展開可能性の余地があるという事です。つまり、自分には余地があるという事です。
余裕のある空間、余裕のあるスペースがあるという事です。自由度のあるスペースがまだあるという事です。
自分の進んで行く道。そういう感じかもしれません。道は、閉ざされていません。ずっと先があります。終わりがどこかにあるのかもしれませんが、それは行ってみないと分かりません。
それより、道が開かれているという事が重要です。その道がどこに明確につながっているか、というより、その道の先がまだある、その先の道がどこに辿り着くのかは分からないが、とにかく道は続いている。そういう状態が重要なわけです。
目標やゴールが重要なようで、実は重要ではないのかもしれません。それより、常に道が続いているという事の方が重要なのです。
その道は一本道である事が良いように思いますが、一本道ではなくても良いわけです。
その道がこの先、どのように展開しても、実は良いわけです。展開可能性が常にありさえすればよいわけです。その意味で、道は一本道である必要は無いわけです。
その道は、ある意味抜け道みたいものでも良くて、事前に想像していた目標やゴールに到達しても、それで終わりではなくて、その場所のどこかにさらに抜け道があったら、その抜け道を通り抜けたいわけです。抜け道を通り抜けたその先がある事が重要なわけです。
人生という道は、常に開かれている事が重要で、それはつまり、常に自分の人生は展開可能性がある、という事が重要なわけです。その余地が常にある事が重要なわけです。
それは、人にとって、呼吸のようなものであり、酸素であり、つまり息が出来るという事であり、自由であり、生であるという事です。