本を読むことが最近好きなのですが、何が良いかというと、本を読む行為というのは、自分の時間で読み進める事ができるという事です。
テレビや映画などの動画を観るのも好きなのですが、これらは自分の時間で読む事が出来ません。テレビや映画が、一定の時間で進んでいくので、それらの時間に合わせながら観ないといけません。それが本を読むのとの違いです。本は、自分の時間、自分のペースで読む事が出来るから、それが良いんです。
より厳密に言うと、自分の時間というより、自分のペース、つまり自分の「速さ」で、本を読む事が出来る。だから、本を読む事が好きだと感じるのです。
人には、その人の固有の速さというのがあって、この自分固有の速さが、自分の快適さ、心地良さを決めているように感じます。この「速さ」が、生きた心地と関係しているように感じるわけです。
この速さが合わないと、例えば、自分の固有の速さより、映画の速さを速すぎると、映画の速さに自分の速さを調整しないといけなくなります。それが、苦しくなるわけです。
本を読むという行為は、自分の速さだけで、本の中の物語を読み進めていく事が出来ます。途中で本を読むのを止めても、案外、そこで物語が進んでいく事が止まるという事が気になりません。いったん読むのを止めて、そしてまたそこから読み始めても、そんなに違和感なく、そこから再び物語は始まります。それで十分物語を楽しく感じられます。
本を読み進めて想像する物語は、どのようにしても、文字から自分が想像し、創造する物語です。だから、その中で、時間を止めても、自由自在にその時間を使って物語を膨らませる事が出来るし、また、物語を味わう事も出来ます。そのような時間を自由自在に使えます。それが本を読む事の良いところです。
本を読むというは、自分の速さを主体として、読み進める事が出来る行為で、この主体が自分にあるというところがポイントです。映画やテレビだと、主体はどうしても自分側にはなく、自分はそれらに適応させなければなりません。その点、本の世界は、自分の速さで作る主体性ある物語の世界です。そこでは、自分は主体であって、生きた心地を維持できて、生きている感じがします。そこが読書の良いところです。
「速さ」というのは、とても大事な概念だと感じています。「時間」ももちろん重要な概念なのですが、実は、時間より速さの方が、人間にとって大事な概念、大事な物理量だと感じます。そして、読書はそれを強く感じさせてくれます。