毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

余裕のある時間を過ごす。読書、小説。

余裕のある1日を過ごせる事は凄く心地良いです。心の余裕を持って過ごす事は、ウェルビーイングな生活を送っていく為にはとても大事な事で、いかにそのように生きていくかを考える事はとても重要な事です。

 

1日、ゆっくりと読書をする時間を持てると、それは凄く余裕のある時間の過ごし方が出来ていると感じます。

 

余裕のある時には、最近はよく小説を読んでいますが、小説を読んでいる時間は凄く贅沢な時間だと感じます。本にはいろんな種類の本があって、それらの本から多くの事を学ぶことが出来ますが、その中でも小説のような、人の想像した物語を読むというのは、心の余裕が無いとできない事のように感じます。

 

本を読むとき、何かと、意味のある事、役立つ事も求めがちですが、そういったときは、自己啓発の本や知識が書かれている本を読もうとしてしまいます。もちろんそれらの本はその目的に適って、十分意味がありますが、小説を読むとなると、その意味はすぐには得られないように感じます。目的や意味の為に本を読むのではなく、その為でない理由で本を読むというのは、心の余裕があるから出来るんだろうと感じます。

 

小説というのは、作者の想像する世界の事が書かれています。そこには、作者のメッセージが含まれています。そのメッセージが物語という形で表現されていたりします。その物語をゆっくりとなぞるように読んでいると、気が付いたら心が落ち着いていたりします。確かに意味を読み取ろうとして読む事もありますが、そうでなくてもその物語に引き込まれていく事もあります。

 

小説を読むというのは、人と会話をするようなものです。人との会話を、時間をかけてするようなものです。人とじっくり話をするとき、心の余裕が無ければできません。そのような意味でも、小説を読むというのは、心の余裕を感じます。

 

意味や目的という事で上に少し触れましたが、小説でも結局はそこにそれらを読み取る事が出来ます。そのメッセージは小説の中に込められています。ただ、それらを読み取るには時間がかかるだけです。でも、その時間のかかる事を、読書を通して行おうとするわけですから、それには心の余裕が必要です。そういう意味でも、小説を読むというのは心の余裕を感じます。

 

そんなに心に余裕のある日々を送れるわけではありません。ましてや、ゆっくりとした時間を持って読書をする時間を作る事は簡単な事ではありません。その上で、ゆっくりとした時間を持って小説を読むというのは贅沢な時間と言わざるを得ないし、凄く心の余裕がある事だと感じます。