毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

頭の中にあるたくさん「今」の問題。囚われと煩悩。解決しようとせず、ひとつの事をやる。

朝起きると、気が付いたらずっと昨日の事のついて考えてしまっています。それで不安になったりストレスを感じたりします。昨日の事でなくても、ここ最近の事について考えてしまっています。こういうのって、要はずっと頭の中にある「今」の事に囚われているっていう感じです。

 

先の事、未来の事についても、気が付いたらずっと考えてしまっています。未来の事について不安を感じて、その未来に対して「どうしようこうしよう」と思い悩んでいます。でも、結局似たような事ばかり考えている事に気付きます。これも、ずっと未来について、「今」頭の中で悩んでいる事に囚われているという感じです。

 

こんな感じで、いつも、「今」の問題に囚われています。そして、囚われていますが、それらの問題は頭の中で解決しているようで実は解決もせず、ただ頭の中で整理しているようで出来ていなくて、そして依然として変わらず頭の中のそこにあって、結局はずっと似たような「今」の問題を抱え続けています。困ったものです。

 

煩悩とは、きっとこのようなもので、滅するしかないと分かっているものの、ずっと頭の中にあって離れず、役にも立たないのに、結果的に大事に思い悩み続けてしまいます。

 

一切の問題は結局解決せずにずっと形を変えながらもそこにあり続けるのなら、解決しようとしなくてもいいくらいです。放っておいてもいいくらいです。きっと、放っておいてもいいんです。煩悩を滅するというとはきっとそういう事です。

 

仕事の事、最近の事、未来の事、それらはみんな不安がくっついていますが、それらは皆「今」あるものとしてずっと頭の中にありながら、放っておいて、一切を気にせず、そして、それこそ「今」やる事をやっていったらいいんだと思います。結局日々目の前の事で何かをやっているわけですから。

 

この「気にしない」というのがとてつもなく難しいわけですが、それでも、出来るだけ気にせず、湧いても湧いてもそれらを脇に押しのけて、やるべき事をやっていくのが良いんだと思います。

 

そろそろ気が付いた方が良いように思います。理解した方が良いように思います。日々囚われている「今」の問題は解決しないという事。無くならないという事。それはずっと自分が気にして、ずっと自ら離さなように掴んでしまっているから。

 

ただむしろ、「今」目の前のある事のひとつひとつを、むしろたったひとつを、きちんとやっていったらいいんだと思います。それが突破口になって、何かが1つ進んで、そして、「今」の問題が霧散していきます。