毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

色んな計画や未来の予測があっても、今に取り組み、今を生きる。

人は、今を生きるという事がとても大切だと思います。大切だし、結局のところ、今を生きる事しかできないんじゃないかと思います。他の人がどう言おうと、結局のところ、自分の「今」を生きるしかないんじゃないかと思います。その結果、人ともめる事はありますが、その人にとっての「今」と自分にとっての「今」は違うので、どうしてもそこにずれが生じて、ミスコミュニケーションが生じて、もめてしまいます。それはしょうがないように思います。結局のところ、自分は、自分の「今」を生きる事しかできないように思います。

 

色んな計画は確かに立てられます。でも、実際その通りになったためしなどありません。自分の計画もあれば、人の計画もあります。それらが完全に噛み合う事はそうありません。噛み合ない計画は、その都度調整するしかないし、それでも、その度に軋轢が生じるかもしれません。そして、その計画は時間とともに噛み合わなくなります。それはしょうがないように思います。計画は自分たちの未来を固定化しようとしますが、結局噛み合わなくなるし、だったら、それにそんなに縛られなくてもいいと思います。

 

未来もそうだと思います。未来がどうなるかなんてわかりません。未来は今があって未来があるわけで、未来があって今があるわけではありません。今から未来までに何かの計画が立てられたとしても、未来は今の取り組みの結果の積み重ねでしかありません。未来は、今から未来までの「今の連続からなる積分」でしかありません。そして、今ですら、今日から明日までの間ですら、計画通りになるとは限りません。その意味で、遠い未来ほど、計画通りの未来になるはずはありません。

 

だから、自分の今の時点から予測される未来は、ほとんどあてになりません。漠然とした未来は、ほとんど当てになりません。逆に、予測される未来が実現するように「今」に取り組んで、調整しようとしても、今は連続しているし、連続したレールの上を一歩もずらさずに「今」を進んで行こうとしても、どうしたって、レールから外れてしまいます。そもそも、「今」から「未来」までの1点1点に対して、全て計画を立てることなどできません。基本的に、未来へのレールは、今のレールをその都度配置して敷いていく事の方が現実的です。結局、「今」に集中して、「今」にしっかり取り組む事の方が大事です。

 

そういうわけで、結局のところ、「今」を生きるという事が大切です。色んな計画や予測される未来、漠然とした未来はありますが、それらはすべて、今を生きた結果でしかありません。今に集中して、今に取り組み、そして、今を生きる、それでいいんだと思います。