毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

朝、心が穏やかというのは幸せな事。「感度」が上がって、小さな気づきや喜びが見つかる。

朝、心を穏やかにして過ごすという事は、日々暮らしていて良い事だなと実感する事のひとつです。身体の調子が良くなかったり、つらい日々が続いていたり、忙しかったりすると、そのような心が穏やかな朝は過ごせません。

 

朝、心が穏やかな状態で過ごすためには、ある程度身体の状態が整っていないといけません。心は身体と密接につながっていますので、身体の状態が悪いと、ほとんど心の状態は落ち着けません。だから、朝、穏やかに過ごせたと実感できるときは、今朝は、また、最近は、比較的身体の状態が良いんだなという事が分かります。身体の状態が良いというのは、何気ない事ではありますが、とても嬉しい事です。そう思えるのは、また、心が穏やかであるからこそなのですが、そういう意味で、心が穏やかに感じられる朝はとても良い事です。

 

朝、心が穏やかに過ごせているというのは、精神の状態、メンタルの状態が穏やかであるという事です。身体の状態と同じく、メンタルの状態が乱れていると、まず心は穏やかにはなりません。メンタルの状態は、身体と同じくバイオリズムがあって、良い状態の時もあれば悪い状態の時もあります。その上下する波の振幅は、身体の調子の振幅より大きく感じられます。そのくらい、メンタルの状態は不安定なものです。その意味でも、朝心が穏やかに過ごせているという実感は、メンタルの状態も落ち着いていて、喜ぶべき事です。

 

心が穏やかという事は、色んな事を考える余裕があります。いつも落ち着いて考えられなかったような、新しい事、考えもしていなかった事を、考え始めるだけの余裕があります。考えるという事が良いというわけではなくて、この「考える余裕」があるという事がとても良いという事です。日々忙しいと、新しい事を考える余裕なんてありません。

 

心が穏やかであると、小さな変化に気付けます。心の小さな変化にも気付けます。身体の変化、痛みでもだるさでも心地良さでも、身体の状態をより細かく気付けます。そして、小さな喜びや小さな楽しさを発見できます。そのようにして、「感度」が上がります。今まで心が落ち着いていなかった時には気づかなかったような事に気付けます。それは幸せにつながるように感じます。

 

そういうわけで、朝心が穏やかに感じられるというのは、喜ぶべき事です。身体もそれなりに安定しているし、メンタルもそれなりに安定しています。そして、新しい事を考える余裕もあります。また、心が穏やかだから、小さな事にも気付けます。身体の状態にもメンタルの状態にも気付けます。小さな事にも喜びや楽しさを見出せます。この感度の高い状態はとても良い事です。そのような朝を過ごせるときは幸せな事だと感じます。