毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

日々の不安を和らげる為に、「今」に集中する。

日々の不安。それは凄く漠然としているもの。そして、きりがないほどたくさんあって、頭の中でたくさん湧いてくるもの。

 

確かに漠然としてはしているものの、日常的にある具体的な内容だったりします。仕事の事とか、人間関係の事とか。また、そういう事から発展して、これから先の未来につながるような事だったりもします。それも湧いてくる想像上で。そういう事をひっくるめて、何か漠然とした事に囚われて、不安を感じてしまいます。そういうのは、些細な事とは言え、非常に煩わしいものです。煩悩の原因になります。

 

そういう時、今日という1日の予定している事に考えを集中させて、そこに頭をコミットさせると、不思議と楽になります。今日という具体的な対象に意識を集中させると、不安が和らぎます。この意識の集中が、不安を滅します。

 

それは、「今」に集中する事も同じです。今自分が集中するべき事に意識を向けると、不安が和らぎます。意識が散漫になるのを助け、無駄に散漫になって不安が生まれるのを防ぎます。この、意識を「今」に集中させることが、不安を滅します。

 

要は、具体的な対象にコミットする、集中するという事が、不安を和らげ、不安を滅するわけです。煩悩を消し去るわけです。

 

だから、目的的に言えば、日々の漠然とした不安を和らげる為に、「今」に集中するという事です。人間はそのように出来ています。意識は、今の対象に集中する事で明確となり、生きているという実感を高めます。逆に言えば、集中できていない状態は意識が散漫となり、生きている実感が下がります。

 

何十年後自分は死ぬという事ばかり考えていると、死ぬことで不安が高まりますが、生きている今に集中すれば、死の不安が和らいで今の生を生きた心地になれたりします。

 

ですが、どうせこの先来る死について考えるなら、散漫な意識で漠然と考えるのではなく、死という対象に真剣に向き合って考えるべきだろうと思います。

 

また、もちろん、緊張と緩和は重要です。意識を今に集中させる時もあれば、意識を散漫にして休ませる時も必要です。身体も心も休んで回復したら、また起き上がって、今に集中すればいいと思います。

 

そういうわけで、日々の不安、とりわけ漠然とした不安。煩わしくつらいと思います。この不安を和らげる為には、今日や今に意識を集中させる事が効果的です。人はそのように出来ています。不安を和らげるために今を生きる。そのようにして未来を切り開いていくものだと思います。