毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「つらい」から解放される時代

「つらい」、「苦しい」、「きつい」の3大ネガティブ形容詞がありますが、個人的には、「つらい」は一番ネガティブな形容詞ではないかと思っています。

 

インターネットで少し調べましたが、これらの明確な違いは分かりませんでした。意外と、これらの形容詞は、個人個人で使い方が違うのかもしれないと思いました。

 

私自身は、「きつい」→「苦しい」→「つらい」の順番で、身体から脳にその状態の中心がシフトしていく感じで、それらの形容詞を使っているような気がします。「身体がきつい」、「心が苦しい」、「精神的につらい」のような感じでしょうか。「息苦しい」、「生きづらい」もあります。

 

「苦しい」は仏教でよく出てくるワードですが、個人的には、「苦しい」より「つらい」をよく使います。「苦しい」は「つらい」より脳から身体にその中心が寄っているような気がしますが、それは時代の違いなのではないかと思ったりします。

 

昔は、脳を中心とする苦悩や精神的苦痛より、身体全体に広がる肉体的苦痛の方が、問題が大きかったからではないだろうか、という事です。現代は、水や電気、下水などの社会インフラが整っていますし、衛生面や医療面の発達がものすごく進んでいますから、昔と比べると肉体的な苦しみはほぼ解放されています。

 

それに比べて、精神的な苦しみ、つらさは、そのような社会システムや科学技術の発達によってもそれほど改善されていないように思います。だから、今の時代は、脳を中心とするつらさの問題が残されたのではないだろうかと思います。

 

また、個人的に「つらい」が「苦しい」より問題になるように感じるのは、私自身の身体の状態、健康状態がすこぶる良いからではないか、とも思います。本当に自分は恵まれていると思います。今まで大きな病気にはかかっていませんし、会社にも毎日出社できるほどの身体の状態、健康状態を維持できています。会社への通勤には車は使わず、半分は徒歩ですが、歩きまわるのが基本的に好きです。頭痛の問題は抱えていますが、これは頭を中心とするもので、「苦しい」より「つらい」の形容詞を使う方がしっくりきます。なので、私自身が身体の苦しみからかなり解放されていて、問題は脳寄りの「つらさ」だからではないかと思います。今は40代半ばですが、もっと歳をとって身体の問題を抱えるようになったら、「つらい」より「苦しい」の方がたくさん使うようになるかもしれません。

 

科学は、心理学が20世紀以前から始まっていますし、20世紀以降精神医学、神経科学、脳科学が発展してきていて、神経や脳の仕組みも随分解ってきています。

 

21世紀は、宗教の時代と言うと極端な表現ですが、心の問題というか、脳や精神の問題が中心になってくるように思います。「つらい」から解放される時代が来ること期待しています。