毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

つらく思い悩む事自体がつらさの源。良い事に目を向ける・身体を整える・習慣

つらさってつらいですよね。「つらさ」、「苦しさ」、「きつさ」はネガティブな精神状態を表す日本語の形容詞ですが、その中でも、「つらさ」は、最もつらく苦しい形容詞のように思います。仏教では苦しみという形容詞がよく出てきますが、「苦しい」より「つらい」の方が言葉としてはつらい気がしています。

 

私も相変わらず、色んな事でつらく思い悩んでいますが、いくらその事に思い悩んでいてもあんまり良くならないし、役にも立たない。周りの人、家族などが苦しんでいる事がつらさの原因という場合もありますが、だからといって、自分がその事につらく思い悩んでいても何にも役に立てない。むしろその事で自分が憂鬱な表情になって、元気がなくなるので、家族の者はますます苦しくなってしまう。

 

つまるところ、つらさの原因というのは、自分の周りにあるのではなくて、自分自身がそう感じているところから生み出されているという事に他ならないんですよね。同じ事でも自分自身がつらく感じていなければつらくないし、つらく感じていればつらくなる。要は、自分が辛さという感情を生み出している。これって、元々人間が神経科学的に持っている性質だからしょうがないんですけどね。仏教も、この苦しみの原理については、現代のような科学が発展していない頃から分かっていたというのは凄いなと思います。

 

これに対処するには、まず3つ挙げられるかなと思います。良い事に目を向ける、身体を整える、習慣を続ける、です。

 

つらい事に囚われて、毎日つらいなー、つらいなー、と思っていても、つらさは増幅するばかりです。人間は思った事、考えたことも脳の仕組みで記憶学習していきますから、つらさも繰り返しの経験によって固く学習されていきます。辛さの原因と思っている事柄と、つらさとを関連付けているのは、自分自身です。自分自身の持つメカニズムです。これは仕方がありません。つらさを思い悩む習慣を繰り返していても習慣は強固になるばかりだし、役に立ちません。それより、自分の身の回りの他の良い事に目を向ける事が大事だと思います。せっかく良い事もあるのに、それらに囚われず、つらい事にばかり囚われている事はもったいないです。人間の仕組み上つらい事に囚われる方が、良い事に囚われるより簡単ですから、そうなりがちですが、自分の身の回りの良い事を見逃さずに、気付くようなしておくことが大事だと思います。私はそういう事もあって、瞑想を習慣にしていて、常に自分の内面に気付くようにしています。毎日心を落ち着かせて客観的になれる時間を持つことは有効です。

 

そして、何より大事な事は、身体を整える事です。身体の調子が悪いと、つらさが増してしまいます。私は元々頭痛持ちですが、頭痛とつらさは、つながっているんじゃないかと思っています。これは勝手な仮説ですが、つらさ→苦悩→精神的苦痛→肉体的苦痛→頭痛、こんな感じで神経のレベルで連合しているのではないかと疑っています。最近頭痛の科学は進んでいますから、このようなメカニズムが提案されるのではないかと期待しています。話を戻しますが、身体は、身体の感覚や感情にも影響を与えますから、精神状態にも影響を与えます。だから、睡眠不足、栄養不足、運動不足、などは、つらさから抜け出しにくくなります。なので、睡眠を改善し、良い食事をとるようにして、軽い運動を習慣にする。基本だと思います。

 

もう一つ言うと、つらくても、可能な限り毎日やっている習慣を粛々と続けることです。身体を動かしていると、人間の基本は身体ですから、つらさから習慣の方に意識が移っていきます。つらさを生み出し続けているのは自分ですから、今取り組んでいる事が、つらく思い悩む事から、いつもの習慣に変わると、気が付いたらつらさが軽減しています。習慣はつらさを解放してくれますから、幾つも持っていると助かります。

 

つらさはつらいですが、つらさに囚われてその事に思い悩む事自体がつらさの源です。つらさは自分自身が生み出しています。だから、もっと自分の身の回りの良い事に目を向けたり、身体を整えたり、毎日の習慣を続けたりしていくのが良いように思います。