毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

思考と言葉が大事な理由。脳内のフィクション・メディア・想像の力は無視できない。

私は、頭の中で思考して、言葉を紡いでいく事を習慣として意識的にやっています。朝の毎日の習慣としてのモーニング・ページやブログも、そういった事の一環と言えます。思考と言葉は、習慣であり、日常です。

 

自分自身、自己はどこにあるのかという問いに対して、意識にあって自分自身とは自己意識だと思っているわけですが、それは、日々いかに気分に振り回され、気分を保つことにエネルギーをかけているか、という事が関係しています。気分を上手く整えていないと、容易に日常は困難なものになり、ネガティブな気分によって生きづらくなります。そうなると、会社勤めや日々の生活を送りながらも、一方で頭の中はのたうち回る事になります。それは、日常を送れない事につながります。

 

自分は意識の中にあると考えると、自分の身体は自分という意識が居る入れ物と見なす事になります。つまり私は、意識中心主義的に自己を捉えているというわけですが、自分自身は身体でその中に意識があると捉えているわけではなく、自分自身は意識にあって、その意識は身体の中にいる、と捉えているわけです。感情や情動、気分は身体から生成してくるものですから、意識にとって感情や情動、気分はとても重要な因子になります。

 

会社に勤めてしばらくした頃、世の中や会社に適応するのに苦労してきて、段々とその適応が限界を迎えてきた頃の30代、実際にはそのような診断は明確にされてはいませんが、適応障害気味、双極性障害の手前、のような表現で言われてきた経験があります。実際苦しい日々でした。ですから、精神的な事、気分的な事は自分にとってはリアルで、無視できない事です。気分障害みたいな傾向はあるんだと思います。

 

そういう意味で、脳内で想像する事やそれに伴う気分の影響は、私にとっては単なる形而上学的な事では全くなく、リアルな問題です。

 

ハラリは、人類の辿ってきた歴史の中で、フィクションの重要性を強く主張しています。また、20世紀は一般にメディアの影響について言われますが、私も強くそう思います。ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」などは、自分の中での国家や国民の形成を見事に説明しています。

 

脳内で想像する事や、錯覚する事はリアルだし、それらは認知や気分に影響します。意識を中心に考えるとそうです。意識は、脳内の気分の影響を受けながら色んな事を想像します。そして、意識的に思考する事も行っています。思考するとき、言葉を使います。言葉を積極的に紡いで思考を展開させます。そして、気分や無意識に生成された想像に、思考を織り交ぜていったりもします。気分や想像は意識に影響しますから、思考や言葉による想像に対する積極的な介入は、意識としての自分にとっては、とても大事です。

 

脳内で想像するフィクションやメディアの力は無視できません。とてもリアルです。そういうわけで、私にとって思考と言葉はとても大事です。自分にとっての日常です。