毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

意識の集中の中に、自由で生きた時間がある。

「時間が無い」といつも追い立てながら、日常を送りがちですが、時間が無いという感覚はとても苦しい事です。何とか時間を作りだしたいわけですが、その余裕が無いために時間を作り出せない。そもそもそのように、忙しく慌ただしい状態が良くないわけです。

 

だからと言って、忙しい状況を変えるのは難しい事です。そもそも忙しいわけですから、それを改善としても、また、忙しい中から時間を捻出しようとしても、時間は生まれないわけです。

 

忙しいとは頭の中の問題です。慌ただしいと感じるのも、頭の中の問題なわけです。

 

忙しい、慌ただしい事でいっぱいの頭では、いかようにも時間は作り出せません。

 

あれもしないといけない、これもしないといけない、と頭の中が散漫になって、様々なことのうちのどれにも全然集中できていないわけです。そして、頭の中は混乱して落ち着かず、それによって頭は疲弊もします。疲弊している事で、ひとつの事にすらも集中できないわけです。

 

そもそも、そんなに忙しい、散漫な頭の状態では、時間なんか生まれないわけです。散漫さこそが時間が無いという事です。

 

散漫さとはマインドがレスな状態であって、つまり、マインドフルな状態でなければ、生きた時間は感じられません。時間の中を生きていません。

 

色んな事に散漫に囚われてマインドレスになるのではなく、ひとつの事に集中する事が大事なです。集中の中にこそ、時間はあるのです。

 

今目の前にある対象に対して、意識を集中させるという事です。ひとつの事に意識を集中させる事で、それ以外の事柄をいったん取り除くわけです。

 

自分の意識が対象に対して集中する事によって、そこに時間が生まれます。集中すると、散漫さが消失しますから、その状態は極めて静かであり、その対象に対してゆっくりとした思考が働きます。

 

思考しないとしても、対象に対して色んな見方が生まれます。また、色んな視点で見る事によって様々な理解や洞察が生まれます。そこには自由な思考があり、自由なアイデアがあり、自由な感情が生まれます。

 

様々な感じ方、様々な考え方、見方、アプローチ。そういった多様さ、柔軟さ、豊かさが、自由で生きた時間を作りだします。

 

時間はそのようにして生まれます。自由な時間の中では、他の事は一切入ってきません。

 

そのようにして、ひとつの対象に意識を集中させる事で、自由で生きた時間が生まれて、時間が無いと感じさせていたたくさんの気になっていた事が、重要ではなくなります。散漫さこそが時間の無い状態であり、意識の集中こそが時間がある状態という事です。