言葉には、抽象化するという機能があります。ありとあらゆるものは具体的なものであるわけですが、それを抽象化、概念化する、そのような機能を言葉は持っているという事です。
人間が他の動物と同じく、何かものを目で見る事によって、線とみなし、形とみなすわけですが、この概念はゲシュタルトと言えるわけで、リンゴをリンゴとして認識する能力も人間のゲシュタルトと言えるわけです。そして、言葉もその範疇という事です。
言葉は、色の断片の輪郭化、すなわち、意味化に相当するゲシュタルトの言葉バージョンであり、それは、視覚などの感覚機能のより高次なものであるだけで、基本的にはその延長と言えるわけです。
そのような意味での言葉の機能は、記号としての言葉とも言えます。
その意味で、抽象化によって、本来具体的なもの、断片的なものでしかないものを、意味あるものとしてくみ上げる事、構築するものが言葉の機能であり、それが抽象化であったり、概念化であったりするわけです。
そのように考えていくと、言葉というのは、何もないところ、意味のないところから意味のあるものに組み上げる仕組みがあり、そしてそれは構築する事であって、設計する事であるわけです。
つまり、言葉とは、人間が新しいものを生み出す仕組み、方法という事です。また、その装置という事です。
その意味で、言葉はこれまで何も無かった地平の上に、新しいものを設計し構築する、プラグマティズムとしての性質があるわけです。
この仕組み、この装置によって、人間が何もないところから、ありとあらゆるものを作り出す事が出来るわけで、つまり、新しいものを創造する事が出来るわけです。
言葉によって生成するものが、全て有用であるとは限らないし、とは言え、無用のものとは言えないわけで、その新しい創造物を、無用のものに、もしくは、有用のものにするかどうかは、人間次第と言えるわけです。
言葉による新しい創造によって、確かに社会は影響を受けるし、社会や文化は発展します。その元となっているところをよく見ていくと、それは言葉の抽象化によるという事です。
言葉は確かのモノではありません。単に言葉という形態で吐き出される無意味のものでもあり得るわけです。エラーをいっぱい含みます。ですが、エラーまみれの言葉だとしても、それは有用かもしれません。それが新しく吐き出される言葉というものです。
それを上手く使うか使わないか、それも人間次第なわけです。