毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

主観的生き物としての人間にとっては全て自己のうち。

人間は、人間同士のつながりや相互作用のようなものによって、人間関係を構築し、人間社会を形成します。ですから、何か人は常に人の役に立っていないといけないような気がするし、社会に関わっていないといけないような気がします。

 

確かに、実際のところそのようにして社会は形成されていますから、社会にとって人は常に社会に関わっていなければならないし、人の役に立っていなければなりません。

 

ですが、その前に、人間という生き物について考えると、人間は主観的な生き物であって、主観性というものを超えて生きる事は原理的に無理であるわけです。

 

人間は常に主観的にしか、物事を見る事は出来ないし、物事を把握し、理解する事しかできません。現実の世界に対する認識や理解も主観的なものでしかあり得ないし、それで十分なわけです。

 

そして同時に、人間は自分自身をないがしろにするわけにはいきません。自分自身と向き合わず、自分自身を構築せず、自分自身を自分で維持すること無しに、生きていく事は出来ません。

 

また、自分自身の生きた心地も、自分自身の喜びも楽しみも、そして、自分自身の幸せも、自分自身のものでしかないわけで、すべて自己のうちなわけです。

 

人に為す事はすべて自分の為であって、それを越える事は人間として容易ではないわけです。そして、それで十分なわけです。

 

人間は主観的な生き物であり、自己完結する生き物であるわけですから、すべてやる事為す事は自己のうちであって、それで良いわけです。

 

そのように捉えた時、世の為人の為、社会の為というのは、全て自己のうちであって、自分の喜びの為、自分の幸せの為に、世の為人の為であるわけです。

 

世の為、人の為、社会の為というのは、自己の為というものに内包されているもので良いわけです。強いて言えば、それが望ましく、それを目指すという事です。

 

自己を超えて、世の為人の為である必要はないし、それは実質出来ないわけです。それが主観的生き物としての人間であり、限界だという事です。

 

その上で、他人との関わりを良好のものにする、社会をより良くする、という事を考えた時に、それは自己のうちのものとして為したことが、結果的に世の為人の為になっていればいいわけです。そうでしかないわけです。

 

そのように結果としてそうなる事としながらも、人間が出来る事は、すべて自己のうちの事であり、それが自己完結する事しかできない主観的な生き物としての人間の生き方という事です。