人は快適で心地良い空間を生きる。というか、生きたい。そう思います。
結局人は、身体を含む環境の中を生きているわけで、その環境が心地良い方が良いわけです。環境とは、つまり、空間であるわけで、その意味で、心地良い空間に生きたいと思うわけです。
何故、「生きたい」というように、願望や欲求のような表現をするかと言うと、そもそも、人は最初から快適で心地良い空間の中で生きていたわけではないと思うからです。
快適な空間の中を生きる事は、当然の事ではなくて、人間が獲得してきたんだと思います。また、作ってきたんだと思います。
例えば、良い例が、家です。家は、人間が作った快適な空間です。人類は、家に住みたかったから、家を作ったんです。最初から家があったんじゃないんです。
人間以外の動物でも、巣を作っています。巣も、家みたいなもので、種が繁栄する為に必要だったわけで、生きていく為の快適な空間が必要だったんです。
その意味で、家は、人間は獲得した、また、作った快適空間と言えるわけです。
もちろん、家が無くても、人は生きていけます。ですが、家があった方が良いわけで、大半の人は家に住んでいるわけです。自宅、という場所に住んでいるわけです。
たまに、自宅という家を持たず、ホテル住まいで生きているパワフルでお金持ちの人もいるようですが、それはほんの一部であり、普通の人は、快適で安心できる自分だけの居場所が必要なわけです。プライベート空間が必要なんです。
ですから、人間は、現代において、家というプライベートな、安心できる心地よい空間、自分だけの快適な空間を生きるという事を、前提としているわけです。
前提としているだけであって、あるのが当たり前ではなく、そのような空間の中で生きたいんです。
その上で、人は貪欲にも、もっと快適空間を求めているわけです。家だけでなくて、移動の時も、電車という空間にも快適な空間を求めますし、車という空間にも快適な空間を求めています。
いつでもどこでも、心地良く快適な空間が良いわけですから、家も快適、そして、移動も快適が良いわけです。
人間にとって、快適な空間の中に、生きた時間があります。生きた時間という自由があります。そのような自由な空間を生きたいわけです。
自由な空間を求める気持ちは、きっと家や車ではありません。生きている間、出来る限り、心地良く快適な空間を生きたいわけです。それは、身体的にも、心理的にもそうです。