毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

ジャーナリングによって新しい自分を発見する。

ジャーナリングは、書く事で自分の深層にあるものを浮かび上がらせる事が出来ます。顕在化していない自分自身の事について、書いているうちに顕在化させるという事です。

 

それは、新しい自分を発見するという事でもあります。自分でも気づいていない自分に関する何かを発見するという事です。

 

自分が好きな事について知りたい時、そんな時にジャーナリングは効果的です。ノートに向かって好きに関する事について書いていくと、いつしかその言葉が現れます。すぐに現れないとしても、また、書き始めた今日には現れなかったとしても、明日とか明後日とか、気が付いたら言葉として現れる。そういう感じです。

 

自分の得意な事を探すのにも、ジャーナリングは有効です。自分が出来る事、出来ない事、色々書いているうちに、「確かにそれは自分は得意かも。」という事に出会います。書けばすぐに分かるというものではありませんが、いつか出てくるわけです。

 

そういう意味で、ジャーナリングは続けていく事にも意味があります。今日だけちょっと書いてみる、では、望んでいるものが見つからないかもしれません。気長に構えて、何気なく思っている事を書く。思いつくままに書く。そのようにして気ままに書いていると、潜在的にあったものが顕在化されるという事です。

 

その意味で、ジャーナリングは習慣化と相性が良いものです。習慣化は、継続する事を含みますが、ジャーナリングを続けていると、ジャーナリングとしての力が発揮されるのです。

 

ジャーナリングは、言葉による自分との対話、自分の心との対話ですから、心を持つ自分と、書く自分とのコミュニケーションであるわけです。自分に対するもう一人の自分の語りかけと、語りかけられた自分による受け答えであり、一人二役の会話のキャッチボールです。

 

何気に言葉を投げて、その言葉を受けて投げ返す。自由気ままに投げかけて投げ返す。そんな対話を続けているうちに、何かしら確からしいものが言葉として現れるわけです。

 

好きな事、自分の出来る事、自分にまつわる色んな事が、ジャーナリングによって見つかるわけです。言葉の力はその意味で絶大ですから、習慣としてジャーナリングを続ける事は重要です。

 

そのようにしていくうちに、自分の知らない何かを見つける事が出来ます。自分の心の奥底にあるものを浮かび上がらせます。一人二役でのジャーナリングを通した心の対話。これによって、自分にとっての新しい発見があります。新しい出会いがあります。