毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

心地良いもの、良いものはいつだって自分のそばにある。見つける事が大事。

自分にとって心地良いもの、自分にとって良いものはどこか遠いところにあるんじゃなくて、いつも自分のそばにある。そういうものだと思います。というより、そういうものでないといけないというのもあります。理屈からすると、自分にとっての良いものがいつも自分のそばに無いんだとしたら、それは苦しくてしょうがないわけですから。

 

自分にとって心地よくて良いものというのは、自分で見つけていくものだと感じます。最初は、偶然何かに出会って、それが、気が付いたら好きになって、そして心地良いものになっていく。そんな感じで自分にとっての良いものが見つかっていくわけですが、だんだんと見つける方法を身につけて、いずれ自ら見つけるようになるんだと思います。

 

一方で、世の中は情報も多いし、周りの人や社会からの積極的な関わりがあるように感じるから、ずっとそれらを与えられるものだと思って、また、それが自然な事だと思って、自分にとっての心地良いもの、良いものは、自然と与えられる、もたらされるって思ってしまいます。ある面、それはそうなのですが、自分から積極的に取りに行く、見つけに行くっていう事をいずれにしてもやっていかないといけないんだろうと思います。

 

自分のそばにあるものの中から、自分にとっての心地良いもの、良いものが見つからないというのは、集中力が足りないというのもあると思います。いつも何かに気を取られて、集中が散漫だから、見つかるものも見つからないんだと思います。

 

頭や意識が、集中が散漫になるというのは、それも人間の普通ではあるとは思います。集中しかなかったら、それはそれできつくてつらくて、心地良いものも良いものも味わう余裕すらないかもしれません。多少散漫でないと、そういった心地良いもの、良いものと出会える余裕はないかもしれません。大事なのはバランスです。集中と散漫のバランスです。

 

人の脳は散漫になりやすい脳と、過集中になりやすい脳とあります。どちらの脳にとってもバランスが必要です。過集中の傾向の脳にとっては、散漫の方にバランスを取る必要があるし、散漫な傾向の脳にとっては、集中の方にバランスを取る必要があります。その対応は、人それぞれです。

 

散漫型な脳であれ、集中型の脳であれ、自分にとっての心地良いもの、良いものを自分のそばで見つける事が大事です。自分のそばに、それらはいつだってあります。ただ、虫眼鏡のピントがあっていないだけです。そういう事は忘れないようにしておいた方が良いように思います。