毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身体を使う習慣のおかげ。振り返り。軽い筋トレ・ストレッチ・体操

このところ天候も悪く、振り返ってみると非常に疲れた一週間だったように思うのですが、それでも何とか乗り切れたように感じています。良し悪しはどうあれ、乗り切れたと思えることは大事です。

 

それも、最近は身体を使う習慣を続けているおかげではないかと思っています。そこで、最近の身体を使う習慣を振り返っておこうと思います。

 

まずは、筋トレです。筋トレと言っても軽い筋トレで、1分で終わる程度の簡単なものです。毎日続けていて、気が付いたら2週間は経っていました。メニューは、決めているわけではないのですが、膝付き腕立て伏せ10回と腹筋10回です。たまに、背筋もしています。基本は夜に毎日と決めて始めたのですが、最近は朝にもやっています。確かに、2週間やっているだけあって、思い出したらすぐやるような感じで、習慣化してきています。やると身体も活性化してスイッチが入ったようになって、とても良い感じです。筋トレのメニューはいつでも変える気なのですが、まだメニューを増やす余裕がありません。

 

そして、筋トレという意味では、相変わらずお風呂の中でシャワーが水からお湯になるまでの暇な時間を使ってスクワットをしています。15回程度です。もう7か月以上やっていますが、完全に習慣化していて、何の苦も無くやれています。

 

次にストレッチです。これも、軽いストレッチという位置づけで始めました。毎日続けて10日ほどです。メニューも、腰回りと肩回りが基本で、以前に見つけて効果のあったYouTubeで学んだやり方を参考にやっています。最近、太ももの付け根が痛いという問題があって、またYouTubeでそれに関連するものを探しているのですが、色んな先生が言っている事を総合すると、だいたい原因は分かってきました。腰の外側の筋肉を緩める為にぐりぐりと揉んだり伸ばしたりしてやると、痛みが引きます。今はそんな感じで、自分に合うストレッチの方法を探りながらやっています。みんな似たような事で身体の痛みに苦しんでいるんだなと思いました。まだまだ十分に治っていないので、もう少し調べて良いストレッチ方法を見つけていこうと思っています。

 

あとは、もう5年以上は続けている朝の体操です。NHK教育のテレビ体操で10分程度のものです。もはや毎日やっているので効果は分かりませんが、過去の頭痛の苦しみが軽減しているので、自分にとって基盤になっているのは確かです。余談ですが、最近は体操のお姉さんがレオタードではなくなって、比較的普通の格好になってきました。私としては、早くレオタードを止めて普通の格好にした方は良いと思っていたので、良い事だと思っています。体操をしている本人たちも気が楽になっているんじゃないかと思います。

 

そんな感じでしょうか。たいして変わっていませんが、継続する事が大事なので、こんな感じで良いかなと思っています。これからは、少し筋トレをアレンジしていきたいのと、ストレッチも特に足の付け根が痛いので、これに対処できる方法を工夫していきたいと思っています。

最近の会話を振り返る。妻・会社

質の良い会話の習慣を作る事が大事という事で、自分の最近の会話について振り返っておこうと思います。妻について、そして、会社の同僚との会話について振り返ってみようと思います。

 

まず、妻との会話です。日々のほとんどの会話の相手は妻です。平日の場合、朝から夕方まで私は会社に行っていますから、妻と話をするのはそれ以外の、朝の出かけるまでの時間と夜の寝るまでの時間です。

 

最近だと、朝は天気の事について話していたのを思い出しました。雨が降ると傘が必要だし、気圧も下がって疲れやすい日になったりするからです。

 

夜は、振り返って良くなかったなと思うのは、頭の中が仕事の事でいっぱいになって帰宅すると、家に帰ってもなかなかテンションが下がらず、仕事の事を話してしまったという事です。仕事の調子が良いと興奮してしまって話さずにいられなくなる、そうなると話が長くなったり話のテンションが上がり過ぎたりして、妻に話の相手をさせ過ぎてしまいます。分かっている事なのですが、そういうのはもっと抑制したいなと思っています。家では極力静かに、お互いが快適に過ごせるようにしたいからです。いつもの事ではありますが、反省です。

 

あと、最近は夜の食事中に、海外ドラマ「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」を観ています。二人して熱中して観ていて、登場人物について話したりトリックについて話したりして楽しく過ごせています。1話45分くらいなので、長く見過ぎて疲れないように1日1話と決めています。

 

あと、昼は会社で弁当を持参しているのですが、夜にタンパク質のおかずを作っています。基本私が自分で作る事にしているのですが、作り方が分からないときは妻に聞いたりして、この間も鳥の肉団子にオーロラソースをかけるというアイデアを出してくれました。ここで言うオーロラソースとは、マヨネーズとケチャップを混ぜたものです。

 

そんな感じで、最近は妻とは良い会話が出来ているように思います。反省すべき事もありますが…。

 

次に、会社の同僚です。昼は持参の弁当をリフレッシュルームで食べていて、先日は10歳くらい若い後輩と一緒に食べていました。厳密には、一緒に食べていたのではなく、私だけが食べてその後輩はただ一緒にいたというだけです。その後輩とは、今は違う部署なので、仕事としては遠い関係なのですが、前に一緒の部署にいたので、よく会った時に話をします。先日は、自分の好きなフルーツランキングの話をして、自分は最近のすももは美味しいとか、ルレクチェはやっぱり3位には入るとか言って、その後輩は、イチゴとかブドウと言っていました。洋菓子ランキングだと、私はイチゴのショートケーキやミルクレープ、マドレーヌで、その後輩はチョコレートだったら基本何でも好きで、チョコレートをかけたパフェとかも美味しいと言っていました。この後輩君とは、男二人いい歳してそんな話で盛り上がっています。

 

他の同じチームの後輩との最近の会話では、仕事の内容は材料実験なのですが、実験の待ち時間に、実は転職をしようと考えていたとか、もっとこういう仕事をしたいとか、将来的にはこういう仕事をしたいので今はこういう準備をしているとか、仕事やキャリアについて色々と考えている事を話してくれました。2時間くらいは話をしていたと思います。普段はそういう話題をそこまで話す事はなかったですし、そんなに長く話す事もなかったので、凄く盛り上がって楽しい意味のある時間を過ごせました。その後輩もきっと色々と不安もあるだろうし、希望もあるだろうから、そういう事を共有してチャンスを広げてあげられたらいいなと思って嬉しかったです。

 

会社では、自分より若い人たちと話す事が多くなってきたのですが、考えたらそれはそのはずなのですが、その意味では、先週まで一週間に渡って一緒に実験をしていた人は、60くらいのおじさんでした。先輩という感じでもないんですけど、実験の待ち時間に、色々と話をしました。その人は再雇用制度で今働いていて、あと4、5年は働ける状況にあるんですけど、転職活動もやっていて、こういう仕事もある、ああいう仕事もあると、教えてくれました。前の部署が一緒で付き合いも長いので、たまにあってはちょこちょこお話しする関係なのですが、そうやって近況をお話しできるのも嬉しい事です。

 

こうやって振り返ってみると、当たり前ながら、ほぼ毎日誰かと会話をしているわけなのですが、そういう会話で、日々欲求を満たしているというか、栄養をもらっているんだなという事があらためて分かりました。

 

これからも毎日、人との会話がより良いものになるように、大事に会話をしていこうと思います。

質の良い会話の習慣化により人生を豊かにする

人は、会話をしたいという欲求を持っているわけですが、会話は日常的になり過ぎていて、それで欲求が満たされているという事に気付かないように思います。でも、もっと積極的に意識的に会話をしていく事で、より人生が豊かになっていくのではないか、と思うわけです。積極的にというのは、ガツガツ人と喋るとかそういう意味ではなくて、会話というものに、もっと意識的になって、無意識に雑に会話をしない、という事です。

 

人にとって、会話の何が良いかというと、日々のストレスから解放され、心地良さが得られるという事です。欲求という観点から例えると、食べ物を食べるような事とも言えるし、マッサージをするような事とも言えると思います。

 

会話は、毎日の生活習慣の一部です。毎日、いつものように食事をして食欲を満たすように、毎日会話をして会話欲を満たすようなものだと思います。習慣という意味では、毎日の食事の習慣を整える事が大事なように、毎日の会話の質を整える事が大事だという事です。

 

そういうわけで、毎日の会話の習慣を良いものにしていけば、人生はより豊かになると思います。ただ、会話は、独りでは完結しません。自分だけが美味しく食事するだけではなく、相手にも美味しく食事してもらう事で成り立ちます。

 

そういう事も含めて、どのようにしたら質の良い会話の習慣が身につくか、考えていきたいと思います。良い会話の習慣化、良い会話になる相手と会話する、良い会話にならない相手と会話しない、の3つをお話しします。

 

まず、毎日、気持ちの良い、楽しい、意味のある会話をするという事でしょうか。当たり前と言えば当たり前ですが、意外と日常では、会話の重要性を忘れがちです。無意識に呼吸をするように、考え事をしながら歩行するようなものです。あまりに習慣になり過ぎていて、呼吸や歩行の事を重要視していません。それと同じく、会話も重要視していない可能性があります。だから、1日に1つでも、自分も相手も嬉しい、質の良い会話をするように心がける事が大切かと思います。習慣は毎日の積み重ねです。一般に、習慣化は数週間かかるものですが、それと同じく、毎日良い会話の習慣を続けていけば、自分自身が会話による心地良さや喜びを記憶学習していくと思います。なので、1日1つ、良い習慣を心がけていくのが良いと思います。

 

そのような意味で、お互いに良い会話になりそうな人と会話をする、という事です。話をして心地良い、楽しい、嬉しい、そんな人は周りにいないでしょうか。また、楽しいばかりではないけど、自分の事をちゃんと気遣ってくれる、話を聞いてくれる、言うべき事は言ってくれる、そういう人はいないでしょうか。お互いがハッピーになれる、そういう人とできるまで会話をするようにしていくのが望ましいと思います。

 

そして同じく、お互いに良い会話にならない人とは会話をしない、という事もあると思います。それは、自分にとって良くないだけでなく、相手にとっても良くないと思います。美味しい食事を台無しにしてしまうようなものでしょうか。せっかく食べるなら美味しいものが良いし、その美味しい食事は美味しく食べる方が良いと思います。食べてもお互いに美味しくならないんだったら食べない方が良いと思います。会話は習慣ですから、食事が美味しくないものとして習慣化されてしまいます。そうなると、きっと食事は嫌いになります。

 

会話はあまりにありふれていて、でも、食事や運動などの生活習慣ほど自分を整えて良い状態に維持するものとは思っていないかもしれません。でも、そうではなくて、食事や運動と同じです。毎日の良質な会話の積み重ねによって、元気に豊かになっていくものです。

 

1日1つ良い会話をする事を心がけて、お互いに良い会話になる相手と会話をし、ならない人とはあまり会話をしない、そういうようにして良い会話の習慣を作っていく事によって、自分に会話から得られる豊かさを記憶学習させていきましょう。

何故人は「会話をしたい」という欲求を持っているのだろうか。ストレス・心地良い・習慣

人というのは、「会話をしたい」という欲求を持っているわけですが、そもそも何故そんなに会話したいのだろうか。今回は、人は何故会話をしたいのだろうかという事について考えてみたいと思います。

 

脳にストレスがかかるからという点と、心地良いからという点についてお話ししようと思います。そして、習慣化による記憶学習の効果やその弊害についてもお話しようと思います。

 

まず、脳にストレスがかかるからという点です。脳内では、何かよく分からない事、不確定な未来の不安や、難しい問題などがあると、それが不快でストレスと感じ、これをどうにかしようとしてしまいます。このストレス状態に対して、自分の頭で考えてその問題を解決できれば、ストレスから解放されて頭が心地良くなります。日常はそんなに不確定な未来の不安や解決すべき難しい問題があるわけではありませんが、絶え間なく小さな問題が無意識のレベルでたくさん出てきます。それらを、自分の頭ですべて考えるより、他人と会話する事による言葉のキャッチボールで問題の答えに辿り着く方が早いので、人と話をするのではないかと思います。他の人が問題の答えを持っているというわけではなく、脳内の自問自答の手間を、人との言葉のやり取りで済ますわけです。そうやってストレスから解放されるとき、ドーパミンなどが出て欲求が満たされるんだと思います。

 

そして、上の話も含んでいますが、単に心地良いからというのもあると思います。抱えた不安や不満を、他の誰かが聞いてくれて、その会話によって抱えた問題について頭が整理されたり解消されてりして、安心感が得られますから、快の感覚が得られます。だから、人に話を聞いてもらいたい、話を聞いて自分の悩みや自分自身の事を分かってもらいたい、という欲求によって会話をするんだと思います。

 

会話は、生活していく中で日常に行っている基本的な営みです。毎日のように会話をします。毎日のようにやっている事は習慣化しますから、会話は習慣です。毎日のように会話の習慣を続けていく事によって、会話によって得られるストレスからの解放や心地良さを、すでに無意識に記憶学習してしまっています。だから、無意識のレベルで、会話は欲求を満たすという事を覚えてしまっていて、ほぼ無条件に会話をしてしまいます。

 

だから、会話をしたいという欲求に関して、お菓子を食べたいとか、タバコを吸いたいとかの欲求と比べて考える事、どことなく分かりやすい気がします。例えばタバコは、絶え間ない喫煙欲求がやってきますから、喫煙所に行ってタバコを吸ってほっとします。しばらくすると、ニコチン濃度が減少してきますから、またふと思い出したように、たばこを吸いたくなります。我慢するのもきついですから、また解放されたくてタバコを吸います。この繰り返しです。でも、一時的にでも、ストレスから解放され、快が得られます。会話は、たばこのような中毒性が高いものとは言いませんが、会話の欲求が高すぎるとこのような事を起こりうると思います。事実、私も人に話を聞いてもらって心地良くなりたいという欲求を持っているのでこの事は分かります。

 

逆に言えば、人にとって、「会話をしたい」という欲求が無いという事ももちろんあり得ます。会話から得られる欲求が満たされない会話が習慣化していると、もはや人と会話をしても楽しくないし、解放されませんから、人とは会話したくないと思います。また、ある人とは、自分の会話の欲求が満たされないどころか、むしろストレスになるという場合には、その人とは会話はしたくないと思います。人は繰り返しの習慣によって、どの人と会話をすると心地良くなるかという事も無意識のレベルで学習しますから、その人とあんまり不快な会話が続くようなら、その事を学習してしまって、もう会話したくなくなります。

 

人は何故「会話をしたい」という欲求を持っているのでしょうか。それは、脳のストレスが解放され、心地良さが得られるからだと思います。そして、会話は毎日の習慣によって学習され、会話によって得られる欲求が満たされることを無意識のレベルで知ってしまう事で、無条件に会話をしたくなるんだと思います。ですが、質の悪い会話を続けていて欲求が満たされなかったり、つらくなったりすると、会話をしたいという欲求は持たない場合もあると思います。だから、人は誰と話をするかを選びます。

 

そういうわけで、会話は欲求が得られるからと言ってお菓子をただひたすら食べるように会話してはいけないなと思いますし、質の良い会話を心がけたいなとも思います。

「会話したい」というのは欲求なのではないだろうか。

毎日のように、何気なく人と会話をしているのですが、その事を普通の事、当たり前の事のように思ってあまりその重要性を考えていませんでした。ある人とは会話をして楽しかったとか良い会話が出来たとか満足し、またある人とは会話して疲れたとか、話さなければよかったとか思って疲弊して後悔していて、毎日のように会話をし、気にしています。

 

言いたい事の個人的な結論から言うと、会話したいというのは、人間にとっての欲求の1つなのではないかという事です。この事について自分の会話について振り返ってみたいと思います。

 

まず、妻との会話です。妻とは毎日のようによく話をします。最近で言えば、海外ドラマを観て、その内容や登場人物についての意見をお互いによく話しています。また、私は毎日本を読んでいますから、その本の事で思った事や考えた事を話したくて仕方なくなって、その事についてよく話をします。明らかに、何かを観たり、読んだりして思ったり感じたりしたことについて、すぐに妻と話したいという欲求があります。もちろん仕事の話もしますが、これは話が長くなり過ぎるので、何年も前から極力少なめにしています。私が気を付けないといけない事は、妻は私の話をよく聞いてくれるので、話過ぎて疲れさせないようにする事です。二人して、すぐに話が盛り上がって、気を付けないと1つの話題で1時間はすぐに経過してしまうので、休みの日など、何も気にしなければ会話だけで1日が終わってしまいます。会話の事で、これまでも二人で色々と議論してきました。むしろいかに喋らないようにするか、こっちの方が課題です。喋るなら、短めになるように、話したい内容を頭の中で事前に整理しておくとか、以前に話した内容は話さないようにするとか、極力会話の量を減らそうとしています。

 

次に、会社の同僚との会話です。ここ近年、仕事をしていく事で大事だと思っている事は誰と仕事をするかという事で、実際にそうなるように進めています。だから、最近は、周りには話しやすい人が多いです。今一緒に仕事をしている同僚というか後輩とは、二人とも弁当を持参しているので、昼食中ずっとお喋りをしています。彼は、私の好きな哲学の話だろうが、仕事の話だろうが、何でも聞いてくれて一緒に議論したり話したりしてくれるので、凄く満足しています。他の同僚とも、仕事の話でも何でも意外と良い会話が出来ていて、非常に楽しいです。仕事では、プライベートでの妻との他愛もない会話とは違って、会社の仕事の関係という事もあってかおそらく自分は会社の人たちに気を遣っていて、良いコミュニケーションになる事に凄く気を付けています。30代までは、自分の年功序列の精神が無意識の部分に結びつき過ぎているせいか、年配の人に腰が低くなり過ぎて気を遣い過ぎていたりしたので、最近は年齢が上がるとともに年配の人が減ってきて、明らかに楽になっています。実質、会社では自分自身お互いに尊重し合える質の良いコミュニケーションが出来るようになってきている、もしくはそう出来る人と話をするようにしているので、どんどん会話する事が楽になっています。そういうわけで、改めて、会社でも、会話をしたいという欲求があって、それが良くなるように努力しています。

 

このように振り返ってみると、自分の事で言っても、明らかに会話したいという欲求を持っています。そして、現在、その欲求はある程度満たされています。自分にとっては、会話したいという欲求は当然満たされるものと無意識に思ってしまっているので、そういう欲求があるという事を気付かない感じになっていました。人は満たされるとその価値に気付かないものです。

 

会話を、私の好きなお菓子と捉えると、私はいつもお菓子が食べたいと思うと食べるわけですが、それに似ているのかもしれません。すぐに甘いものに無意識に手が伸びて、食べ過ぎて体調を崩す。会話も一緒で、話したい時にすぐに誰かに話をして、話過ぎて自分も疲れますが相手に迷惑をかけてしまう。その意味で妻との会話は妻のエネルギーと時間を奪ってしまうので、気を付けないといけません。

 

会話の場合は、お菓子と違って、自分一人で欲求を満たすものではなく、相手も会話をしているわけですから、話し手と聞き手を相互に入れ替えながらお互いが満足いくようにしなければいけません。でも、それくらい、人は会話をしたいと思っていて、思っている事を言いたい、話を聞いてもらいたい、分かってもらいたい、言ったことに対してリアクションして欲しい、言うときりがないほど会話を通して多くの欲求を満たしたいと思っています。だからこそ逆に、その相手をさせられる大変さや迷惑もあって、会話を制限したり、むしろ人を遠ざけたりする事も必要になってしまうんだと思います。

 

少なくとも自分は、会話をしたいという欲求を持っていて、それがある程度満たされているという事を認めるべきだと思います。そして、周りの人たちや妻に感謝しないといけません。

最近の夜の過ごし方。海外ドラマ・筋トレ・ストレッチ・翌日のおかず

今回は、最近の夜の過ごし方について振り返ってみようと思います。海外ドラマの視聴、軽い筋トレとストレッチ、そして、翌日の昼の分のおかず作りです。

 

まず、海外ドラマの視聴です。もう結構前から、アマゾンのプライムビデオやHuluの海外ドラマを視聴しています。たいてい、夕食を観ながら観ています。先日まで、アガサ・クリスティーの「ミス・マープル」や「インスティンクト」といった殺人事件もののドラマを観ていました。最近それらのシリーズが終わったので現在は引き続き殺人事件ものの「エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY」を観ています。殺人事件ものとは言え、そんなに深刻でもなく、内容に注意が引っ張られやすいので、雑念など余計な事に思考が持っていかれないので、リラックスして観られます。

 

余談ですが、基本的に私は海外の映画やドラマはいつも字幕で観ています。それで、翻訳に関して少し不満があって、日本語への翻訳が直訳から離れて意訳し過ぎているといつも感じています。例えば、あるドラマで、病院の一室に患者さんがベッドに横になっていてそのそばに主人公がいるシーンがあって、そこへその患者の担当医らしき医者が入ってきたので主人公がその医者に向かって「Your patient?」と尋ねたのですが、字幕では「担当医?」となっていました。個人的には、英語で「あなたの患者?」と言っているわけだからそのまま訳すればいいのに、何故わざわざ意訳して「担当医?」にするのかなと思ってしまいます。英語でのその時の言葉にはそのニュアンスがあるのだから、その表現の感じを知りたいのに、なんで違う言葉に変えちゃうのかなといつも不満です。という余談でした。

 

話題を戻します。その他に、軽い筋トレとストレッチをしています。筋トレは、膝付き腕立て伏せや腹筋、背筋を10回ずつやっていて、もうすぐはじめて2週間になります。上半身に少し筋肉がついてきた感じがあって、良い感じで習慣になってきていると感じています。ストレッチはまだ5日程度ですが、先日少し無理して色々やり過ぎたのか、足の付け根が痛くなったので、今はごく軽めにやっています。工夫が必要です。

 

あと、翌日の昼の分のおかず作りです。このところずっと朝食抜き生活で、昼は弁当にしていますから、前日の夜にその分のおかずを準備しています。うちにはヘルシオがあるので簡単にできます。唐揚げとかハンバーグとか、簡単に準備してヘルシオに入れて、15分程度待つだけです。たいてい美味しく出来上がるので、本当にヘルシオ様様という感じです。

 

こんな感じでしょうか。筋トレとストレッチに関しては、少しずつメニューを変えて改善していきたいと思っています。特にストレッチはまだ上手くいっているという感じでもなく、全然メニューが固まっていないので、これからというところです。

 

最近は、夜はあんまり無理せず、こんな感じでリラックスして過ごしたいと思っています。

朝からもやもやネガティブ思考。瞑想による客観視。

朝から頭がもやもやして、このままでいいのか、何か問題があるんじゃないか、一体何が問題なんだろうか、と何かと問題にして、そして、自分の何がいけないのか、とネガティブな思考に陥っていく事があります。そして、自分や現状を変えないといけないと思って焦って、落ち着かない朝を過ごしてしまう…。

 

このようにして、現状から何かと問題を取り上げて、結果的に、自分を否定する事を知らず知らずのうちにやってしまいます。実際は、自分の様々な問題にそれなりに取り組んでいたりして、上手くいっている部分もあったりするのにそういう良い事を見逃して、上手く行っていない部分に囚われてしまうのです。

 

私はそんなときには、瞑想によって自分の内面に向き合うようにしています。そして、最近のポジティブな事、良かった事を振り返るようにしています。そういうわけで、瞑想をして振り返ってみました。

 

仕事の面では、今週は少しずつですが仕事が着々と進んでいる事を思い出しました。また、会社で仕事上に必要な資格というか技能をちゃんと取得した事を思い出しました。小さな事ですが、ちゃんと仕事をやっているという事はポジティブな事です。

 

また、会社の同僚たちとも、良い会話をたくさんできたという事を思い出しました。けっこう良い人間関係の中で働けているという事を気付けました。良い人間関係の中で働いていくという事は以前から大事にしていましたから、それは凄く上手くいっていて、今はとてもいい状態という事です。

 

家の事でが、妻と食事を一緒に作ったり食べたりして、凄く良い時間を過ごしていた事を思い出した。こういう豊かな時間を妻と過ごせたというのはとても幸せな事です。また、最近は海外ドラマをよく見ていて、妻と一緒に観て凄く過ごせている事を思い出した。また新しいドラマを見つけて観始めました。そういうのもとても良い事です。

 

習慣については、最近、筋トレやストレッチの習慣化に取り組んでいて、今のところ順調で良い事だと思います。その他にも色々と習慣は継続出来ていて、とても良い感じです。

 

とりあえず、そんな感じでポジティブな事について振り返ってみました。

 

瞑想は色んな事の出発点になると思っています。そして、自分に対する客観視は非常に大切です。ポジティブな部分ばかり見過ぎるのも良くないですが、ネガティブになり過ぎるのも良くないです。できるだけ正しく、客観的に、自分を観る事が大事だと思います。ありのままの自分を観て気付くためには、瞑想のように、心が静かな状態でなければできません。

 

自分の内面に瞑想によって心静かに向き合って、客観視して、自己理解を深める。そのような事をたまに行うと、自分を取り戻して、落ち着いて再スタートできます。瞑想による客観視はとても有効です。