40過ぎでも進化する為の実践ブログ

りべしんと言います。40半ばを迎えたサラリーマンが、今からでも進化できると信じて日々考えて実践している事を書いています。

「会話したい」というのは欲求なのではないだろうか。

毎日のように、何気なく人と会話をしているのですが、その事を普通の事、当たり前の事のように思ってあまりその重要性を考えていませんでした。ある人とは会話をして楽しかったとか良い会話が出来たとか満足し、またある人とは会話して疲れたとか、話さなければよかったとか思って疲弊して後悔していて、毎日のように会話をし、気にしています。

 

言いたい事の個人的な結論から言うと、会話したいというのは、人間にとっての欲求の1つなのではないかという事です。この事について自分の会話について振り返ってみたいと思います。

 

まず、妻との会話です。妻とは毎日のようによく話をします。最近で言えば、海外ドラマを観て、その内容や登場人物についての意見をお互いによく話しています。また、私は毎日本を読んでいますから、その本の事で思った事や考えた事を話したくて仕方なくなって、その事についてよく話をします。明らかに、何かを観たり、読んだりして思ったり感じたりしたことについて、すぐに妻と話したいという欲求があります。もちろん仕事の話もしますが、これは話が長くなり過ぎるので、何年も前から極力少なめにしています。私が気を付けないといけない事は、妻は私の話をよく聞いてくれるので、話過ぎて疲れさせないようにする事です。二人して、すぐに話が盛り上がって、気を付けないと1つの話題で1時間はすぐに経過してしまうので、休みの日など、何も気にしなければ会話だけで1日が終わってしまいます。会話の事で、これまでも二人で色々と議論してきました。むしろいかに喋らないようにするか、こっちの方が課題です。喋るなら、短めになるように、話したい内容を頭の中で事前に整理しておくとか、以前に話した内容は話さないようにするとか、極力会話の量を減らそうとしています。

 

次に、会社の同僚との会話です。ここ近年、仕事をしていく事で大事だと思っている事は誰と仕事をするかという事で、実際にそうなるように進めています。だから、最近は、周りには話しやすい人が多いです。今一緒に仕事をしている同僚というか後輩とは、二人とも弁当を持参しているので、昼食中ずっとお喋りをしています。彼は、私の好きな哲学の話だろうが、仕事の話だろうが、何でも聞いてくれて一緒に議論したり話したりしてくれるので、凄く満足しています。他の同僚とも、仕事の話でも何でも意外と良い会話が出来ていて、非常に楽しいです。仕事では、プライベートでの妻との他愛もない会話とは違って、会社の仕事の関係という事もあってかおそらく自分は会社の人たちに気を遣っていて、良いコミュニケーションになる事に凄く気を付けています。30代までは、自分の年功序列の精神が無意識の部分に結びつき過ぎているせいか、年配の人に腰が低くなり過ぎて気を遣い過ぎていたりしたので、最近は年齢が上がるとともに年配の人が減ってきて、明らかに楽になっています。実質、会社では自分自身お互いに尊重し合える質の良いコミュニケーションが出来るようになってきている、もしくはそう出来る人と話をするようにしているので、どんどん会話する事が楽になっています。そういうわけで、改めて、会社でも、会話をしたいという欲求があって、それが良くなるように努力しています。

 

このように振り返ってみると、自分の事で言っても、明らかに会話したいという欲求を持っています。そして、現在、その欲求はある程度満たされています。自分にとっては、会話したいという欲求は当然満たされるものと無意識に思ってしまっているので、そういう欲求があるという事を気付かない感じになっていました。人は満たされるとその価値に気付かないものです。

 

会話を、私の好きなお菓子と捉えると、私はいつもお菓子が食べたいと思うと食べるわけですが、それに似ているのかもしれません。すぐに甘いものに無意識に手が伸びて、食べ過ぎて体調を崩す。会話も一緒で、話したい時にすぐに誰かに話をして、話過ぎて自分も疲れますが相手に迷惑をかけてしまう。その意味で妻との会話は妻のエネルギーと時間を奪ってしまうので、気を付けないといけません。

 

会話の場合は、お菓子と違って、自分一人で欲求を満たすものではなく、相手も会話をしているわけですから、話し手と聞き手を相互に入れ替えながらお互いが満足いくようにしなければいけません。でも、それくらい、人は会話をしたいと思っていて、思っている事を言いたい、話を聞いてもらいたい、分かってもらいたい、言ったことに対してリアクションして欲しい、言うときりがないほど会話を通して多くの欲求を満たしたいと思っています。だからこそ逆に、その相手をさせられる大変さや迷惑もあって、会話を制限したり、むしろ人を遠ざけたりする事も必要になってしまうんだと思います。

 

少なくとも自分は、会話をしたいという欲求を持っていて、それがある程度満たされているという事を認めるべきだと思います。そして、周りの人たちや妻に感謝しないといけません。