40過ぎでも進化する為の実践ブログ

りべしんと言います。40半ばを迎えたサラリーマンが、今からでも進化できると信じて日々考えて実践している事を書いています。

何故人は「会話をしたい」という欲求を持っているのだろうか。ストレス・心地良い・習慣

人というのは、「会話をしたい」という欲求を持っているわけですが、そもそも何故そんなに会話したいのだろうか。今回は、人は何故会話をしたいのだろうかという事について考えてみたいと思います。

 

脳にストレスがかかるからという点と、心地良いからという点についてお話ししようと思います。そして、習慣化による記憶学習の効果やその弊害についてもお話しようと思います。

 

まず、脳にストレスがかかるからという点です。脳内では、何かよく分からない事、不確定な未来の不安や、難しい問題などがあると、それが不快でストレスと感じ、これをどうにかしようとしてしまいます。このストレス状態に対して、自分の頭で考えてその問題を解決できれば、ストレスから解放されて頭が心地良くなります。日常はそんなに不確定な未来の不安や解決すべき難しい問題があるわけではありませんが、絶え間なく小さな問題が無意識のレベルでたくさん出てきます。それらを、自分の頭ですべて考えるより、他人と会話する事による言葉のキャッチボールで問題の答えに辿り着く方が早いので、人と話をするのではないかと思います。他の人が問題の答えを持っているというわけではなく、脳内の自問自答の手間を、人との言葉のやり取りで済ますわけです。そうやってストレスから解放されるとき、ドーパミンなどが出て欲求が満たされるんだと思います。

 

そして、上の話も含んでいますが、単に心地良いからというのもあると思います。抱えた不安や不満を、他の誰かが聞いてくれて、その会話によって抱えた問題について頭が整理されたり解消されてりして、安心感が得られますから、快の感覚が得られます。だから、人に話を聞いてもらいたい、話を聞いて自分の悩みや自分自身の事を分かってもらいたい、という欲求によって会話をするんだと思います。

 

会話は、生活していく中で日常に行っている基本的な営みです。毎日のように会話をします。毎日のようにやっている事は習慣化しますから、会話は習慣です。毎日のように会話の習慣を続けていく事によって、会話によって得られるストレスからの解放や心地良さを、すでに無意識に記憶学習してしまっています。だから、無意識のレベルで、会話は欲求を満たすという事を覚えてしまっていて、ほぼ無条件に会話をしてしまいます。

 

だから、会話をしたいという欲求に関して、お菓子を食べたいとか、タバコを吸いたいとかの欲求と比べて考える事、どことなく分かりやすい気がします。例えばタバコは、絶え間ない喫煙欲求がやってきますから、喫煙所に行ってタバコを吸ってほっとします。しばらくすると、ニコチン濃度が減少してきますから、またふと思い出したように、たばこを吸いたくなります。我慢するのもきついですから、また解放されたくてタバコを吸います。この繰り返しです。でも、一時的にでも、ストレスから解放され、快が得られます。会話は、たばこのような中毒性が高いものとは言いませんが、会話の欲求が高すぎるとこのような事を起こりうると思います。事実、私も人に話を聞いてもらって心地良くなりたいという欲求を持っているのでこの事は分かります。

 

逆に言えば、人にとって、「会話をしたい」という欲求が無いという事ももちろんあり得ます。会話から得られる欲求が満たされない会話が習慣化していると、もはや人と会話をしても楽しくないし、解放されませんから、人とは会話したくないと思います。また、ある人とは、自分の会話の欲求が満たされないどころか、むしろストレスになるという場合には、その人とは会話はしたくないと思います。人は繰り返しの習慣によって、どの人と会話をすると心地良くなるかという事も無意識のレベルで学習しますから、その人とあんまり不快な会話が続くようなら、その事を学習してしまって、もう会話したくなくなります。

 

人は何故「会話をしたい」という欲求を持っているのでしょうか。それは、脳のストレスが解放され、心地良さが得られるからだと思います。そして、会話は毎日の習慣によって学習され、会話によって得られる欲求が満たされることを無意識のレベルで知ってしまう事で、無条件に会話をしたくなるんだと思います。ですが、質の悪い会話を続けていて欲求が満たされなかったり、つらくなったりすると、会話をしたいという欲求は持たない場合もあると思います。だから、人は誰と話をするかを選びます。

 

そういうわけで、会話は欲求が得られるからと言ってお菓子をただひたすら食べるように会話してはいけないなと思いますし、質の良い会話を心がけたいなとも思います。