毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

生命性の本質は構成要素の相互依存の関係。国家や企業について。

生命性は、それを支える構成要素の相互依存の関係という観点で、様々な事象について説明できるように思います。

 

例えば、国家。国家を形成している構成要素は、言うまでもなく国民であって、各々の国民が相互依存の関係性を構築する事によって、生命性が維持される事で、はじめて国家が成立すると言えます。構成要素としての国民がいなければ、また、国民の相互依存の関係性が無ければ、国家などというものの意味は無いわけです。

 

国民における相補的な関係という意味では、異なる国家の国民との関係も、自国民の相互依存の関係を維持するものであり、国民同士の国際交流は明らかにそれぞれの国家としての生命性を維持するものであって、その意味で、閉じた国家というのは、生命性が下げると言えるわけです。

 

また、別の例として、企業体が挙げられます。企業も同じく生命性があって、その構成要素としての社員の間の相互依存の関係、また、会社を超えた社員同士の相互依存の関係も全て、その企業の生命性を向上させる事につながります。

 

ですから、他企業と競争関係にあって、それは表向きにはそうであっても、企業を超えた補完的な関係性によってそれぞれの企業の存続性は維持できるわけです。

 

自動車メーカーと部品メーカーも、いずれも生命性があって、互いに相互的な関係性があるわけです。一方、部品メーカーも、異なる自動車メーカーとの相補的な関係を構築しても特に問題ないわけで、部品メーカーの生命性の向上は、自動車メーカーの生命性の向上にもつながるわけです。つまり、多様な相互依存の関係性を構築していく事が、互いに自動車メーカーも部品メーカーも生命性を向上する事につながるわけです。

 

生命性の本質は、構成要素の相互依存の関係性であるわけですから、構成要素は何で、その構成要素がどのような相補的な関係を、どのように形成しているか、その多様性、もしくは、複雑性が重要なわけです。

 

だから、それ自体、例えば、国家や企業体みたいなものの存続をそんなに気に無くても良いわけです。実体という意味では、国家よりその国民の方が実体としての意味があって、企業よりその社員の方が実体としての意味はあるわけです。言い換えると、国家より国民の方が生命性としては重要であるし、企業より社員の方が同じく生命性として重要であるわけです。

 

ですから、構成要素としての国民の何らかの相補的な関係、社員の何らかの相補的な関係が、生命性を高め、結果として国家の生命性を、また、企業の生命性を高めるわけです。

 

生命性の観点から、いつだって、構成要素の相互依存の関係、相補的な関係が重要なんです。