毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

私たちは接続と切断の世界。自律的な機械。

世の中の仕組みですが、接続と切断。この連鎖が起こっている。そういう話です。日々色んな事が起こるわけですが、その過程で、色んなモノがつながって、一方、色んなモノがつながりを切っていく。そのようなプロセスが連続的に起こりながら世の中は回っているわけです。

 

生命は、基本的に、このような仕組みで回っています。全体性を支えている細分化された個々のもの同士が、接続と切断を絶え間なく繰り返しています。人間も、動物も、昆虫も、植物も、神経細胞も、細胞も、あらゆる生命がそのような仕組みになっています。

 

明確に生命でなくても、生命っぽいものも、そのような仕組みで回っています。地球上の生態系もそのように回っています。まさに多様なものから成る生態系としての自然は、様々な自然の部分と部分が接続され、そして、切断される。でも、全体性としては保たれていて、生命っぽいものを宿しています。

 

都市も、まるで生命のように見えます。都市は、人間だけにより構成されているわけではありません。あらゆる交通もその構成する要素の一つであるし、人間が生活を営むインフラなどのあらゆる仕組みもそうです。つながっては離れ、集まっては離れ、留まる事を知りません。常に動き回っています。そうです。すべて、個々のもの全てが、自律的に動き回っています。

 

つながっていく事が重要だと思う時、どんどんつながっていく事は良い事だと感じますが、そうならない時は辛くなります。ですが、切断されていく事もまた良い事と気付けば、つながっていかない時もつらくはありません。むしろ心地良いものです。接続と切断はある意味、同じ事ですから、どんどん接続できる時は接続して、そう出来なくなったらどんどん切断していったらいいんです。そうすればちょうどいい感じになります。

 

ポイントは、上にも少し触れましたが、自律的であるという事です。私たち人間、人間の営む世の中、生命が関わる全て、これらは自律的な機械であるという事です。いつだって留まる事を知らず、ずっと動き続けて、それら自身も、それらが集まった集合としての全体性も、自律的な機械です。溶液の粒子はブラウン運動をずっとしていますが、それは温度に依存します。温度がある限り常にブラウン運動を続けています。要はそういう事です。

 

私たちは、いつだって接続するし、いつだって切断します。そして、それによって全体性を維持しています。それは生命的な営みです。そして、自律的な機械です。