毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

主観的なウェルビーイング。Engagement。時間を忘れて没頭する。

主観的ウェルビーイングの5領域というのがあります。Positive emotion(ポジティブ感情)、Accomplishment(達成)、Meaning(人生の意味や意義)、Relationship(他者との良い関係)、そして、Engagement(物事への積極的な関わり)の5つです。

 

最後のEngagementは、「時間を忘れて何かに関わる」、「没頭する」という意味を含んでいて、このような状態が、人の主観的なウェルビーイングにとって重要というわけです。

 

確かに、時間を忘れて何かに没頭している時というのは、とても充実した時間、幸せな時間、と言えるような気がします。

 

時間を忘れている時というのは、時間という感覚から完全に離れている状態だと思います。もはや時間が流れている事を感じていない。そのような状態です。

 

仮に時間が一定方向に流れているとしたら、時間を忘れているという時というのは、一定方向に流れている時間と同じ速さで自分自身が進行している時、そのような状態になっているように思います。その状態というのは、時間と自分が一体となっているような状態とも言えます。

 

自分自身が何かに一体化しているような状態というのは、例えば、その対象に完全に集中している時です。コミットしている時です。その対象に完全にコミットして、まるで一体となっている。まさにそのような状態です。そのような状態になっている時、時間は全く感じていません。

 

逆の言い方をすると、何かの対象にコミットしていない時、時間を感じるという事になります。時が一定方向に流れている事を、外から眺めているような状態とも言えます。

 

しかし、そのように考えてみると、何かに没頭していない、集中していない、コミットしていない状態というのは、自分自身どのような状態になっているのでしょうか。逆に分からなくなります。

 

時間が流れているのを感じている時、気付いている時というのが、何かに没頭していないという状態なのでしょうか。

 

または、ウェルビーイングとしての充実感、幸せ感が、何かに没頭している状態を意味するとしたら、充実や幸せを感じていない時というのは、何にも没頭せず、時間を感じている時という事なのでしょうか。

 

心地良さ、充実、幸せ、そのようなものが、没頭や集中、コミットした状態を意味するんだとすると、そうでない時に、時間は感じられるものかもしれません。つまり、時間とは、心地良さ、充実、幸せを感じていない状態のときに感じるものという事です。

 

人にとって、心地良さ、充実感、幸せ感はとても大事です。心にも、身体にも、とても大事です。その感覚を大事にして、物事に没頭していく、集中していく。そのような状態が、時間を忘れるという状態なのかもしれません。