毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

今朝も、身体との対話を進める。身体の現象学から学ぶ。

今朝も、会社の事、仕事の事、そこでの人間関係の事、それに関連する事が頭の中を巡っていました。他の事を考えたくても、頭の中にすでに色んな事があって、それらが巡っていて、新たな事を考える余地がない。そんな感じでした。

 

正直、今はそんな頭の中の事より、自分の身体の話を聞きたい。自分の身体と話がしたい。そういう気分です。

 

最近、鷲田清一氏の「メルロ=ポンティ 可逆性」の身体の現象学の箇所を読んで、なおそのように思っています。世界と自分との間には自分の身体があって、その無意識の習慣によって成り立っている自分の事や、身体を通して新たに世界と関わりを持つことを可能にしてくれる身体、主体は身体だと感じさせる、そんな身体との対話が凄く大事なんだという事を、このメルロ=ポンティの身体の現象学はあらためて教えてくれました。

 

相変わらず、猫背の私は、肩こりや首こり、そして、時には頭痛、また、腰や背中もきつい、そんな感じの日々を送っており、本当にもっと身体を大事にしないといけない、もっと身体と対話しないといけない、本当にそう思います。

 

今朝も、時間をかけて、床に横に四つん這いになりながら、猫の伸びのポーズを呼吸とともにやって肩回りの心地良い軽い痛みや血行が改善する感じを確認していました。また、肩甲骨ほぐしや体側伸ばしのセルフストレッチを、ゆっくり呼吸とともにやって、心地良い痛さを感じながらやっていました。その他、腰回りや足回りを丸めたり、伸ばしたりして、呼吸とともに身体の状態を確認しつつ、身体が少しずつ温かくなって、心地良い感じになっていくのを感じていました。

 

身体と対話すると言っても、実際どのようにするのだろうという気がします。マインドフルネス瞑想で呼吸とともに、身体の色んな部分に注意を向けて確認する作業もよくやっていますが、そのような心的な状態で、それを実際に自分の身体を使って、呼吸と動作という自分の行為を使って、確認していく作業。そういうのが、身体との対話、身体とのコミュニケーションなんだろうか。そんな風に思ったりします。

 

人間の身体には、これまでの経験によって身につけてきた無意識の習慣という性質がありますが、さらに、人間の意識的な作用によって新たに習慣を身につけさせる事も可能です。そのようにして、身体の習慣に習慣を上書きしながら、身体と対話を進めて、それは、感覚としての身体の痛みなのか、身体を通って聞こえる血液が流れる音なのか、体温の変化なのか、心地良さなのか、どのようなものが身体とのコミュニケーションなのかはまだ分かりませんが、そういう事をひとつひとつ丁寧にやっていく事が良いのではないだろうか、と思っています。

 

セルフケア、セルフマッサージ、セルフストレッチ、ヨガ。そういった、自分独りで自分の身体と関わる事が大事なんじゃないのかな、そんな風に思いながら、これからも身体との対話を進めていきたいと思っています。