毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人と仲良くする事が目的。

人は結局、人と仲良くする事が最も良いのではないかと思うわけですが、例えば、人と仲良くする事が目的、というように考えてみると、案外それがその通りだと思います。

 

人の目的が「人と仲良くする事」と捉えると、人が人と関係するのは、要は人と仲良くする事が目的であって、その為に人と関係するわけです。確かにその通りと思えます。

 

人と仲良くする事が目的なわけだから、人と仲良く出来なかった場合、その人との距離が離れてしまうのはごく自然な事であり、それは人が人と仲良くしたいからであり、また、人は仲良く出来ない事を嫌だと感じるからでもあるわけです。その通りなわけです。

 

仕事をする場合、それは、自分が生きていく為にお金が必要だから仕事をするわけですが、なんでお金が必要かと言うと、お金によって人は生きていく為に必要なものを手に入れられるわけで、その必要なものが人と仲良くするという目的であるならば、仕事をする場合でも、やはり、人と仲良くする事が重要なわけで、仕事をするために人と仲良く出来ないというのは、本末転倒なわけです。

 

昨今は、働き方の問題が取りざたされるわけですが、それも、ひとつに、仕事において人と仲良くする事が困難な状況になっているからと言え、その意味で、人と仲良くするという目的のために、仕事をするという事を手段であると捉え直すならば、俄然働きやすさが改善するのではないかと思われるわけです。

 

例えば、夫婦の問題にしたって、夫婦の関係の目的は仲良くする事、というように考えるならば、仲良くする事が難しい夫婦関係が破綻してしまうという事は自然であると考えられるわけで、その意味でも、人にとって仲良くする事が最も良いのではないかと思われるわけです。

 

確かに、よく考えてみると、人と仲良くする事は幸せになる事の重要な要因と捉えてもおかしくないし、つまり、幸せになるためには人と仲良くする事であると言っても過言ではないわけです。

 

社会全体として、もしくは、この人間社会において、その究極目標が世の中の全ての人が幸せになる事であると言っても、それは言い過ぎではないわけで、その為に世界や国家は、全力を投じると言っても、特に疑問は無いわけです。

 

そして、その究極目標を達成する重要な要因として、人と仲良くする、という事を挙げたとしても、確かにそうであると納得できるわけです。

 

そのようなわけで、人にとって、人と仲良くする事が目的、と考えても、さほど間違えてはいないように思われます。