人は色んな事に囚われてしまいますが、何かにどっぷり自分の頭が囚われていると、いつも苦しく、思うようにいかず、疲れてしまうと思います。
よく、「メタ認知」は大事と言われますが、そういう何かに囚われている自分を、客観的に見てあげる事は本当に大事です。何かに頭がどっぷりになって疲弊している時、そんな自分を上手く客観視してメタ認知できると、心地良さを感じたりします。とても不思議です。何かにどっぷり浸かった頭が解放される感じになるだと思います。
デカルトではないですが、自分とは「我思う」自分であり、「我考える」自分です。ダニエル・カーネマンの言うシステム2の自分です。マインドフルネスの状態でもう一人の自分が自分を見ていると言う時の「もう一人」の自分です。
人は、成長して発達していくと、マルチな自分が自分の中で育ってきます。そういう色んな自分は、ある意味どれも自分で、働いている時の自分も自分だし、家で暮らしている時の自分も自分だし、誰かと話をしている時の自分です。でも、その時その場所によって、平野啓一郎の「分人主義」ではないですが、自分は違っていたりします。
自分の頭の中では、そういう色んな自分を背景として、もう一人の自分が客観的にそれらを見る事が出来ます。そのようにして、「考える自分」を自分として捉えて、常に、何かに囚われている自分を客観的に見て、気付いて、認めることが大事だと思います。そういう事が、セルフマネジメントであったり、セルフコントロールであったり、セルフコンパッションであったりすると思います。
例えば、仕事をしている自分です。仕事をしている自分は、仕事に囚われていて、振り回されている場合があります。仕事に囚われている時の弊害は、囚われ過ぎているがゆえに頭が振り回されてとても疲労するという事と、仕事に対して自分自身が客観的になれていないがゆえに仕事のパフォーマンスが上がらないという事です。そのような状態では、仕事をする事はつらいものになります。私はちなみにいつもそんな感じになります。
自分の中では、色んな自分がいて、それらを背景にして、その環境の中で、思考する自分がいます。色んな自分に囲まれて、自分が暮らしているようなものです。自分の在りかを、この「思考する自分」に置くと、それが客観視となって、囚われがちの自分から抜け出して解放されます。それがメタ認知です。
常に、そういう何かに囚われ振り回されている自分をメタ認知によって客観的に気付いて、そして、そんな自分に対いて、どうあるのが良いか、本当はどうしたいのか、何がつらいのか、など色んな問いをして考えてあげるのが、自分を解放して前進する良い方法だと思います。