毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

意識や気分について考えてみる。自己意識や思考との関連性やそのコントロールについて。

最近、意識に関する研究が凄く進んでいて、それとともにかなり意識に関する理解も進んでいるように思います。自分とは何かという事についても、おそらく、自分が認識している意識の一部の自己意識というような状態のものではないかと思います。

 

意識の実体とは、今のところ、脳波などの測定から、脳内を中心として、覚醒状態の程度(Awareness)で評価するものとして捉えられていて、その電場成分や磁場成分として観測されているものの事になっています。覚醒状態のレベルは、起きている時は強いですが、寝ている時も弱いながらあって、夢を見ているようなときも、意識はあるように感じられるのでそうだろうなと思います。

 

意識は、意識と無意識の領域が一応あるように区別されていて、認知心理学では、意識的に思考する事を一般に思考、無意識的に思考する事を感情と捉える場合もあるようです。

 

感情は、情動と気分というものに関わっていて、情動と気分の違いは区別が難しいですが、生理学的に、身体的に影響を与える程度の高いものを情動、低いものを気分とみなす場合がるようようです。神経科学的にも、感情や情動や気分は脳内の神経活動やその周辺部の活動に起因していて、扁桃体や海馬に関連するものや、神経細胞周辺の液体部分の電場の変化に関連するものもあります。それらの活動は、周波数帯域が異なっていて、神経活動の活動電位の発生は周波数帯域が高い領域で、神経細胞周辺部の変化は周波数帯域の低い領域で、この周波数帯域が、情動や気分の性質の違いに関連しているのかもしれません。

 

自分の在りかを、意識を中心に考えると、脳内に広がる意識のどの意識に注意を向けるかで、注意の向けた先にある意識が自己意識のように感じられます。自己意識が自分の在りかと考えると、自己意識は脳内の錯覚(イルージョン)の中で、絶え間なく反芻思考をしたり、自動予測をしたりしています。自己意識は散漫で、気が付いたら無意識に思考している事もあるので、その時は我を失っているのかもしれないと思うと、自己意識は「意識的」な時に現れるように思いますが、容易に無意識の影響を受けて、自己意識は散漫になってしまうように思います。

 

情動の変化は、生理的に大きな反応を示すという意味で分かりやすく、強い不安感や焦燥感は情動の変化を伴って生じるので、その強度が強く、自分でコントロールするのは難しくて、意識に関しては、情動には一方的に振り回されてしまいます。

 

一方、気分は常に弱いレベルで在って、穏やかな時でも、常に意識と一緒にあるように感じられます。意識には自己意識があって、気分の影響を常に受けています。気分がポジティブに変化する事もネガティブに変化する事も意識は気付いていますが、意識が何かに強く注意を向けていると、微妙な気分の変化には気づかない場合もあります。

 

また、意識をあまり強く持っていないと、容易に気分の影響を受けますから、ネガティブな気分に覆われてくると、意識はそのネガティブな状態の影響を受けます。気分は過去の記憶学習したものに基づいた反芻思考や自動予測の影響を容易に受けるので、ネガティブな経験や記憶したものがあると、気分はネガティブになりやすいです。

 

そういう意味で、ネガティブな気分の時は、意識的に、積極的な思考を介入して、注意を別のところに向け、ネガティブな気分をそらす事が、自己意識として快適に過ごすのには良いように思います。

 

意識や自己意識、気分は微妙なゆらぎのような状態で、容易に変化しやすいものなのですが、意識的に思考を使う事で、脳内の快適さをコントロールする事は有効な事のように思います。