毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

人はどのように自由を獲得してきたかについて考える。不自由な世界と神

人間は、人類の歴史の中で、どのようにして自由を獲得してきたかについて考えていこうと思います。前提として、人間は自然の中から生まれた存在だと考えて、自然は完全な法則によって成り立っていてそこに自由はないという観点から捉えると、人間は本来自由のない世界から生まれたと考えられます。そして、あらゆる生物は自然の中から生物の進化によって歴史を紡いできて、それぞれの何らかの方法によって、不自由な自然の中で各々自分たちの種をつないできたわけですが、人間がもし自由を持っているとするなら、その過程で自由を育み、獲得してきたのではないか、と考えられます。

 

そこで、今回は、不自由な世界からの自由という事で、神を中心とした事についてお話ししようと思います。

 

現代では、学校教育や科学がかなり進歩していて、世の中の多くの事がかなり分かっていますから、それらの知識や周りの人たちからの情報を参考にすれば十分生きていけるように感じますが、それらが一切ない未開拓な世界では、ありとあらゆることが未知で、恐怖に満ちています。自分たちが住んでいる場所の外の世界がどうなっているかも分かりませんし、雨や、太陽や、雷、などのあらゆる自然現象も何の事だか分かりません。外の世界から何者が攻めてくるか分かりません。人間なのかどうかも、動物なのかどうかも、それ以外の何であるかも。また、人がなぜ死ぬのか、とか、死んだ後どうなるのかとか、そういう事も分かりません。今でも分からないですが。

 

そこで出現してくるものが、神です。地域によっては様々な説があるかと思いますが、はるか昔は、山や、森、木、などあらゆる自然のものを対象にして、それらを神としてきました。例えば、アミニズムというものがあります。ウィキペディアで調べると、こう書いてあります。「アニミズム(英語: animism)とは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。」また、マナという神に似た概念もあります。ウィキペディアでは、「マナ(mana)は、太平洋の島嶼で見られる原始的な宗教において、神秘的な力の源とされる概念である。人や物などに付着して特別な力を与えるとされるが、それ自体は実体性を持たない。元々は、メラネシア語で「力」という意味である。」と書いてあります。

 

そのようにして、人間はありとあらゆる方法によって、自然の中で、神的なものを創造してきたと言えます。よく分からないもの、人間の力を超越しているように見えるものを神という対象にして、あらゆるものを神格化して、生き方を見つけたり、不安や恐怖をやわらげたりしてきたんだと思います。

 

人間は、神を創造する事によってそれを道しるべにして生きたと考えられます。つまり、全くの不自由で未知の世界から、神を創造する事で自分たちが生きる自由を獲得してきたんだと思います。

 

今回は、不自由な世界からの自由という事で、神について話をしてみました。今後、また、別の自由に関する事についてお話ししようと思います。