毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

創造するプロセスを経て、言葉や物語が生まれ、自分や人を解放する。

人間に言葉や文字が無かった頃、人の頭の中は、どんな感じになっていたのだろうか。毎日のように頭の中で言葉を紡ぎ出しては何かを考えている、そんな自分にとっては、とても不思議な事です。

 

頭の中で、視覚的なものから言葉や意味など、色んな事を巡らせては想像し、気分を上げたり解放したりしながら、何とか毎日を過ごしているわけですが、毎日は楽しい事ばかりではなく、つらい事、苦しい事もたくさんあります。そういうつらさや苦しさを、どう解消し、どう解放するかという事は、昔から人間にとっては重要だったんじゃないかと思ったりします。

 

仏教でも、人間は苦しみを前提としているわけで、人間はいかに苦しみと向き合い、苦しみを和らげて生きていくかが大事な事だったと思います。それは今でも変わらないと思います。

 

また、人間がこれまでに創り出してきた色んな芸術は、人々に感動をもたらし、苦しみから解放し、救済してきたんだろうと思います。

 

人は、頭の中で、色んな事を想像します。空想もします。そして、それを言葉にしたり、言葉以外のものとして形にして表現したりします。その過程は創造です。創造するプロセスは、きっと自分の為にやっていた事で、自分の中で想像した事を形にしようとした結果です。きっと創造は、楽しみや喜びのプロセスだったとも思いますが、一方で、苦しみやつらさから解放されようとするプロセスだったのではないかと思います。

 

不可解な世界の中で、不確実な世界の中で、人々は苦悩し、そして、自分の中で、その苦しみやつらさから逃れようと、想像して空想し、そして、自分の世界を自分の為に何らかの方法で創造したんだと思います。そのようにして、生まれた言葉や物語は、創造であり、芸術そのものであったろうと思います。

 

何か創造するというのは、きっと自分を解放する事を目的とした自分の為の自分の世界の創造であり、そのプロセスを経て、自分自身が解放され、救済され、喜びをもたらしたんだろうと思います。そのような創造のプロセスを経て生まれたものが、言葉であり、物語であり、あらゆる芸術であり、それらが世界や人々を解放し、救済してきたんだと思います。

 

人は、創造のプロセスによって生み出した言葉を使って、人々と交流し、関係性を作ってきました。物語も、言葉の延長で、人々の間で共有され、理解し合い事を可能にしてきました。そうやって、創造のプロセスによって人間の世界が構築されてきたんだと思うと、自分もそのような創造をしていきたいと思ったりします。そういうわけで、日々、言葉を紡ぎ、物語を創る事を大切にしたいと思います。