毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人はどのように自由を獲得してきたか。自由は不自然という観点から考える。

人類が、現代に至るまでどのように自由を獲得してきたかについて、これまで、宇宙、森、動植物などありとあらゆる自然からの自由、生物進化の過程からの自由、未知で恐怖に満ちた世界の中で神を創造する事によって獲得した自由、国家を形成して確保してきた自由、経済により確保してきた自由について、そして最後に、現代につながる個人としての自由について、考えてきました。

 

自由の考え方について、最初に、ありとあらゆる自然の法則、万物の法則の中では、無機物、有機物、すべての生き物には自由はない、法則の世界である、という視点から考えて、その自然の法則の中から、不自然性を獲得していく事で自由を作り、育くんできたと考えてきました。

 

そこで、今回は、これまでお話ししてきたトピックについて不自然性という観点から、生物進化、神、国家に関する自由を考えたいと思います。

 

まず、生物進化の過程で得てきた自由ですが、現代での生物の進化では例えば、DNAの遺伝の法則があります。最近はエピジェネティクスという考え方が注目を集めていて、少しずつ修正がされてきていますが、DNAのセントラルドグマ自体は自然の法則で、これにより、あらゆる種は自分たちの種をつないできたわけでと考えてきました。その観点ではそこに自由はありません。ただ、セントラルドグマにしたがって複製を繰り返すわけですから。ですが、実際は、DNAやRNAの置かれた環境や、実際に複製されていく過程での周囲からの影響によって少しずつ違うものが複製されていきます。セントラルドグマの自然の法則から見ると、この環境要因に基づく変化は不自然であり、であるがゆえに多様な生物種が生まれ、人間自身もセントラルドグマの自然の法則の中から生きていく過程で不自然性を通して自由を獲得していると捉える事ができます。

 

次に、神です。神は、アミニズム的な神からはじまったわけですが、その後、ゾロアスター教における善悪二元論の世界からはじまり、さらに、一神教としてのユダヤ教キリスト教イスラム教、そして仏教、その他多くの神の世界、宗教が創造されてきました。それらはそれぞれに経典があり、法則があります。これにより、人間の内面の世界に自由がもたらされ、また、これらを国教にする事による人間社会の秩序という一定の自由が確保されてきました。様々な種類の神に基づく法則は、特に現代から振り返ると不自然な実践に溢れていますが、その時代その時代で自由を獲得できていたわけです。キリスト教の歴史では、例えば、プロテスタントに関する宗教革命により、当時、腐敗したカトリックに基づく宗教の世界から、言い方を変えると、腐敗しているとは言え自然の法則に基づく不自由な世界から、当時では馴染みのない不自然とも言える新しい宗教を打ち立てて、自由を一段階拡大したと言えると思います。

 

国家に関しても、野蛮で未開な社会という自然状態から、概念的な国家を設計して、それに契約を結んで、自分の生命の権利をも委譲するという不自然な形態をとる事で、野蛮な世界の中に一定の守られた自由の世界を創造しました。人間のルールや法は、自然から見ると不自然そのものです。ですが、それが人間の一定の自由を確保する事になります。

 

今回は、自由は不自然性という観点から、これまで議論してきた生物進化、神、国家に関する不自然性と自由についてお話ししました。また、別の機会で、他のトピックについても、不自然性と自由についてお話ししたいと思います。