毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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人はどのように自由を獲得してきたかについて考える。自然・生物進化に基づく社会システム

今回は、人間は、人類として歴史的にどのように自由を獲得してきたかについて考えていきたいと思います。人間に対する自由に関しては、色々な自由について議論が出来てしまうので、まずは、自然、生物進化に基づく社会システム、という点からお話ししていきたいと思います。

 

まず、自然における自由について話をしようと思います。自然というと、森や植物の自然を思い浮かべますが、ありとあらゆるものが自然であり、地球や宇宙も自然であるというように考えると、自然とは自然の法則を持ったもの、万物の世界といったところでしょうか。ですから、人間の周辺で言えば、地球上の自然、森や植物から、微生物、細胞、動物、あらゆる生命も自然から生まれたと言えると思います。その中で、何らかの原理、法則、科学の仕組みによって、地球上で物質が出来て、アミノ酸が出来て、生物が生まれていくのにつながっていったと考えられます。そういう意味では、自然とは、自然の法則を持っていて、宇宙や地球から、少なくとも、その自然の法則によって人間が生まれたと考えられます。自然は法則であり、数学で記述されるような完ぺきな世界とも捉えられますから、そのような観点から自由を考えた場合、完ぺきな法則の中に自由はないと言えます。自然の法則では、その法則に従ってあらゆるものが自ずと決まりますから、そこに自由はありません。そのような意味で、自然は本来不自由の世界です。もし人間に自由があるとすれば、それはその不自由の世界から人間が何らかの方法で自由を獲得してきたという事になります。

 

次に、生物の進化という観点から、人間の自由について考えてみたいと思います。生物の進化と言えば、ダーウィンの進化論ですが、この科学的なものの見方も、基本的には法則性を見出そうとするものの見方で、人間や生物の自由という観念的な観点からは見ていません。地球上のあらゆる生物は、地上の最初の生物の誕生から系統樹としてつながっていると考えます。

 

歴史の順番から考えると猿は人間に近く、そんな猿もある社会システムも構築しています。ボスの雄猿を頂点としたヒエラルキーの構造を持っています。人間の構築する社会でも似たような構造は見られますから、猿と人間が非常に似ている事が分かりますし、生物の中でもかなり高度な社会システムであろうと考えられます。社会の内部は、権力的な力学の関係で重層的なヒエラルキーの構造を構築していますが、この社会システムによって、親から子へと種としての猿も紡がれてきましたし、その社会システムも同じシステムを保存してきました。そのような強力な社会システムによって種としての生き物がある意味安全に守られて生き延びて来られたと言えます。

 

これは、人間という種も同じで、文化人類学者で構造主義の哲学者クロード・レヴィ=ストロースは、はるか昔の未開拓な社会において、婚姻というシステム、例えば自分の家族の娘を他の家族に提供する贈与のシステムなど、数学的というか記号的な体系的法則によって成り立っている事を説明したわけですが、つまり、人間の社会にも、婚姻という体系だった構造を法則として構築しており、これにより、人間の種は保存されてきたと考えているわけです。それでも人間には、本来自由はあるのではないかという立場から考えると、このような自然の法則としての家族システム、婚姻システムの中から人類や人間の自由は育まれ、獲得されてきたと考えられるように思います。

 

今回は、自然における自由の話、また、生物進化に基づく社会システムとしての自由の話をしました。自由については、もっとたくさんの観点から話が出来ると思うので、今後また異なるトピックでは自由についてお話ししようと思います。