毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

瞑想の基本的な実践。呼吸・囚われ・気づき

今朝も瞑想を行ったのですが、こう暑いとなかなか集中してやりにくいものがあります。そういう中でも、瞑想を続けていると、それなりに落ち着いてきて、今日も1日を始めようという気がしています。

 

そこで、今回は、瞑想を7か月以上続けてきて自分なりに思う事について書いてみようと思います。主に、呼吸について、そして、囚われと気づきについてです。

 

まず、呼吸です。基本的に自分は瞑想をスタートした最初は、呼吸に意識をむけようとします。吸って吐いてを、ゆっくりやります。そして、その呼吸に意識を向けていると、鼻に空気が通っている感じにも気付きますし、心臓の呼吸音にも気付きます。呼吸は、速くしたりゆっくりしたりとコントロールする事が出来るので、逆に言えば、ゆっくりしていく事で心を落ち着かせることが出来ます。ここはポイントですが、身体と心は呼吸でつながっているという言い方も出来るように思います。自分の意識で、身体を使って呼吸をゆっくりにして、そのゆっくりになっていく呼吸に意識を向けていれば、心はそれに連動するように落ち着いてくる。そんな感じです。だから、瞑想中は基本的に呼吸に沿って進めていく感じです。

 

次に、重要なのが囚われです。実際には、囚われている事に気付く事です。心が落ち着いていなくて無意識の状態では、自然と何かに囚われていると思います。だから、瞑想中に、呼吸という軸に意識を向けつつ、何かに囚われている事に気付いていく感じです。

 

今朝は、リビングの窓を開けて、椅子に座って、外に向かって目を閉じて瞑想を行っていたのですが、朝からセミの鳴き声がうるさくて、また、車の走る音も聞こえるしで、そんな雑音が多い中でも自分の呼吸に集中するように行いました。途中で、窓を閉めて空調をかけましたが、今度は空調の音も聞こえてきました。そんな感じで、自分の周りのあらゆる事に気を取られている事がよく分かります。その「気を取られている」事に気付いていく感じです。

 

自分の身体に対しても同じです。心が落ち着かない状態ではあまり気付かなかった身体の違和感、目の辺りが重いとか、首や肩が疲れているとか、腰や足が痛いとか、胃がもたれているとか、身体全体に対して無意識であった状態に、意識を向ける事で気付いていくと思います。身体の状態に気付かず落ち着かない状態、逆に言えば、身体の状態に無意識に囚われている状態に対して、ひとつひとつ気づきによって外していく感じです。

 

雑念や思考に関してもそうだと思います。頭の中が絶え間ない雑念にまみれていたり、考えがずっと無意味に展開している時、無意識に、それらの事に囚われ続けている感じがします。だから、呼吸を軸にして心を落ち着かせて、それらの雑念についても、客観的に気付いていく感じになります。気づいていくと、無意識に囚われ続けていた思考や気にしている事の断片みたいなものを外していく事が出来ます。

 

こんな感じで、あらゆる「囚われ」に対する「気づき」を瞑想で進めている感じです。脳の状態が無意識の囚われから、意識的な気づきの状態に変わっていく感じです。そのようにしていくと、囚われから解放されて、意識を違う方向に向けられるようになって、新しい事に意識を向けたり、切り替えが出来たりします。脳科学で言われている、無意識の脳モードのデフォルトモードネットワーク(DMN)からそれらを観察する脳モードのサリエンスネットワーク(SN)に切り替わっていく感じです。

 

基本、私が行っている瞑想はこのような感じで、「呼吸」を軸にして進めながら心を落ち着かせて、あらゆる「囚われ」とそれらに対する「気づき」のセットを行っています。雑念や思考の断片にまみれているとか、集中できないとか、そういう事はあんまり気にしていません。そういう事に心を穏やかにして気付けばよいと思っています。

 

そんな感じで、これからも瞑想を続けていこうと思っています。