毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

マインドフルネスとは。自分の中に「心の眼差し」を持つ。

人の性質上、大きな困った事のひとつは、自分の勝手な自動予測によって不安な未来を想像してつらくなったり、うんざりして重苦しい気分になったりする事だと思います。

 

この自動予測による不安な未来の問題は主に2つあって、1つは、全然当てにならない、つまり正しくない未来だという事と、もう1つは、自分にとって役に立たない、無意味だという事です。全然自分が生きていく事をエンハンスしません。

 

こういう事は人間には普通にあります。人間にはネガティブバイアスがかかっているので、よりネガティブな事、不安な事に無意識に引っ張られます。なので、何か嫌な事をふっと思い出すと、不穏な気配が自分の中に生じたり、不安な気分になったりします。そうなると、どんよりとつらい気分になって前に進めなくなります。

 

正しくない、役に立たない、自動予測される未来に振り回されて、つらくなってしまうというわけです。

 

こうした、意味のない未来に苦しむという問題に関しては、「今ここ」を生きるというのが良い方法だと思うわけですが、そこで今回は、マインドフルネスという事について考えてみたいと思います。

 

私は、朝から、外の景色を眺めながら、好きなコーヒーを飲んで、リラックスした時間を過ごすというのを大切にしています。まさに、「今ここ」を生きているという感じです。

 

人が気持ちよく落ち着いていられるための、ひとつの重要な性質に、「観察する」という性質があります。心地良く外の景色を眺めるというのは凄く良い時間だと思いますが、これは外の景色を観察しているとも言えます。より何かに注視して、集中して観察すると、いわゆるコンフォートゾーンに入るというのか、余計な雑念が無くなって、心地良い感じになっていきます。

 

例えば、バードウォッチングが好きな人がいます。自然の中で静かに、双眼鏡やカメラなどで鳥を見つめる、観察する。この状態は、自分の意識が鳥という対象に強く向けられていて、周囲の余計な事、自分の中の余計な雑念に囚われなくなります。

 

自分の意識が、無意識的に、役に立たない自動予測される不安な未来に散漫に囚われている状態と、意識的に、その注意が対象に向けられている状態とでは、大きな違いがあります。前者は、無意識に散漫に何かに囚われた状態でマインドレスな状態、後者は、意識的に具体的な対象に注意が向けられたマインドフルな状態です。

 

そして、観察する行為を、自分に向ける事も重要です。マインドフルネス瞑想では、凄く心が落ち着いている状態で、自分の意識が自分に向けられている状態です。自分の意識が自分に向けられているというのは、自分に注意を向けている状態であり、自分を観察しているという状態です。自分が自分を観察し、自分が自分に観察されている状態です。自分自身が、主体的に観察しながら、自分自身が客体となって、観察対象になっています。

 

一般に、瞑想をするときは目をつぶって行いますが、おそらく、自分の意識を自分自身に向けやすくするためだと思います。目が開いていると、外の景色が目に入ってきて、意識が自分の外側に向けられて散漫になってしまいます。なので、目をつぶるのは、自分の意識を自分の内側に向ける為であり、自分の内側に「心の眼」を向けるという事が大事だという事です。

 

つまり、自分の中に、意識が自分に向けられた「心の眼差し」を持つという事です。自分自身を観察する眼です。そして、自分自身は観察対象でもあります。自分の意識が自分を観察し、自分自身は観察される、この自分の中の「観る」「観られる」という関係性が、自分自身を落ち着かせます。

 

人間は、無意識的に、ネガティブなバイアスに基づいて不安な未来を自動予測してしまいます。そして、それに容易に囚われて、振り回されて、苦しくなります。この事から解放される方法は、マインドフルネスです。それは、人間の性質である「観察する」行為に注目して、それを自分に向ける事です。自分の中に、「心の眼差し」を持つ事です。マインドフルネスな状態とは自分の意識がぼーっとしている状態ではなく、ちゃんと覚醒しています。覚醒した状態で、自分を観察し、観察される状態です。

 

このように、「心の眼差し」を自分に中に持ってマインドフルネスの状態を作っていくと、それが不安で役に立たない未来から解放されて、「今ここ」を生きる事につながっていくと思います。