毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

何か落ち着かず不安で、刺激を求め反応してしまう。止まって、心を落ち着かせる。

人は不安を抱える生き物です。不安が顕在化していなくても、潜在的には抱えてしまう生き物です。それは人間として普通の事であり、それでダメとかそういう事ではないんです。ただ、これにどう対処するか、そういう事です。

 

意識的に不安を感じていなくても、意識の下では、何か不安がざわめいて、何か落ち着かないわけです。落ち着かなくて、何かにすぐ反応してしまうわけです。何かにすぐ反応してしなう落ち着かない自分の内部では、不安があるという事です。

 

何かにすぐ反応してしまうのは、自分自身が何か刺激を求めているからです。何かちょっとした事を刺激として、反応せずにはおれないわけです。意識的に気付いていなくても、無意識には、刺激を求めているわけです。

 

スマホをいじっては、ずっとインターネットの記事をチェックしたり、SNSを見たりするのも、無意識に刺激を求めているからです。

 

刺激を求めていつも反応する備えをしてしまっている自分というのは、よりその根底に不安が潜んでいるわけです。ですが、それが人間ですからそれを責めてもしょうがないわけです。

 

不安がある自分、刺激を求めている自分、反応してしまう自分、それらは自分の落ち着かない心の状態を表していて、それ自体はしょうがないわけで、大事な事は、そんな自分をよく知る事です。

 

ですから、大事な事は、立ち止まる事です。立ち止まって、心を落ち着かせる事です。

 

周りに、自分に刺激を与えてくれるものはあふれていて、まるで自分から見ると周りは騒がしく反応するものでいっぱいなわけです。

 

ですが、実は心が忙しく、刺激に反応しているのは自分です。自分の方です。自分がそのようにすぐに反応するように備えてしまっているわけです。自分こそが落ち着かないわけです。

 

ですから、止まる事です。自分自身が止まると、実は周りの景色は止まっている事に気付きます。周りは止まっていて、単に自分だけが忙しなく小刻みに動いていた事に気付きます。

 

止まる事によって、冷静に周りを観察できます。自分自身も観察できます。そして、自分が何に不安を感じているのかも観察できます。止まって心が落ち着けば、そのような事が分かります。ただ、自分の心は騒がしく、不安になっていただけなんです。

 

そういうわけで、何か無意識に刺激を求めてしまう、すぐに反応してしまう自分。そんな自分がいるとき、まずは止まる事です。そして、心を落ち着かせる事です。そうする事で、自ずと周囲や自分を観察する事が出来、不安の原因にも気付けます。何かするのは、それからでいいんです。