人は言葉を使ってコミュニケーションをとっているのですが、その前に考えるべき事は、人は感情をコミュニケーションしているという事です。
そして、感情をコミュニケーションしたいという事です。
それはひとつに自分の感情をコントロールしたいのであって、自分で自分の感情をコントロールするのに人とのコミュニケーションが有効だからです。
もちろん、自分で自分の感情をコントロールする事は重要であるし、可能でもあるわけですが、人とのコミュニケーションの方が有効である事は多いし、容易な事も多いわけです。
だから、間違えると人は他人に依存しがちでなり、自分で自分を保てなくなったりするわけです。
そのくらい、自分の感情をコントロールする事が重要で、他人とのコミュニケーションはそれをより良くしてくれるわけです。
また、人間は感情を表現したい生き物でもあります。
ポリヴェーガル理論でも、人間は、表情を作ったり声を発したりする事に関係した、顔面や喉につながる多くの迷走神経を活発に活用する事で、神経生理学的に、そして、身体的に良いという事が言われているわけです。
というより、そのようにしないと健康に生きていく事が出来ないし、いわゆる、人間らしく生きられないわけです。
そのような意味で、ただ他人から自分の感情をコントロールする為に、感情のコミュニケーションをしたいだけでなく、自分の感情を能動的に表現する事でも、コミュニケーションをとりたいわけです。
そのような事で、コミュニケーションするのは、感情のコミュニケーションのためと言えるわけです。
そして、その上で、言葉によるコミュニケーションというものがあって、言葉の性質上、言葉はコミュニケーションにおいて極めて有効なツールであるわけですが、感情のコミュニケーションに関しては、そのすべてを言葉が担う事は出来ません。
それどころか、言葉によるコミュニケーションは、感情のコミュニケーションのほんの一部しかできません。言葉には限界があるわけです。
感情は多彩で複雑で奥深いですから、当然の事として、言葉によって十分に感情のコミュニケーションをとる事は出来ないわけです。
人間は、感情を持つ生き物です。人間のコアは心であり、感情です。もちろん思考も兼ね備えていますが、感情の領域は大きいわけです。
ですから、自分たちが認識している以上に、自分たちは感情をやり取りしたいと思っています。そして、身体的にも感情のやり取りが必要なわけです。生きていく為に、感情のコミュニケーションが重要なわけです。