毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

我々人間にとって文字や言葉の順序こそが意味を成す。感情の変化。

例えば、文章を読んでいるとき、心が動いている事に気付くかもしれません。でも、淡々と流れている文章の場合だと、もしかしたら、その変化に気づかないかもしれません。

 

ですが、文章によっては、はっきりと心が動く事が分かります。また、感情が変化する事が分かります。

 

言葉の場合、まず何らかの文字が来て、次に、また文字が来るわけです。その文字の順序には意味があって、順序が変わってしまうと、文章としての意味内容が変わってしまうわけです。

 

その意味で、文章において、言葉の順序、もしくは、文字の順序は重要なわけです。

 

それは、話し言葉であっても同様です。まず何かの言葉が発せられて、次に別の言葉が発せられる。次から次への言葉が発せられるわけですが、この順序は重要です。

 

また、より細かく、発せられる1つ1つの言葉によって心が動いているかどうかに注意を向けてみると、次に何の言葉が来るかによって、感情の変化の仕方が変わります。ポジティブに変化する場合もあれば、ネガティブに変化する場合もあります。

 

もちろん、言葉そのものに意味がありますから、1単語の言葉だけで感情は十分動くわけですが、それでも、1つ目の言葉の後に、2つ目の言葉として何が選択されるかによって、感情の変化の仕方は劇的に変わるわけです。

 

感情の変化の程度が変わる事もあるし、感情の種類が変化する場合もあります。感情は多彩ですから、種類の幅は広く、感情の振れ幅も大きいわけです。

 

そして、その感情の変化は、そのまま意味を生成するわけです。

 

ですから、言葉の順番が変わってしまうと、感情の変化もそれに伴って変わり、そして、意味も変わってしまうわけです。

 

われわれ人間は、元々言葉を使っていたわけではありません。文字などは、長い人類史においては、かなり最近生まれて使用されるようになってと言っても、過言ではないわけです。

 

ですが、言うまでもなく、感情は言葉が生まれる前よりあったわけです。動物としての人間に、そもそも備わっているわけです。

 

感情の変化は、言葉や文字に比べて、明らかに原始的なものであって、根源的なものです。言葉や文字があって感情が出来たのではなく、感情は元々動物としてあって、それが言葉や文字を生み出したと言っていいわけです。

 

ですから、言葉や文字としての意味というのは、感情の変化に基づいていると言えるわけで、感情の変化こそが意味を生成しているわけです。

 

そして、文字や言葉の1つ1つの順序というのは、人間の感情の変化に作用するものであって、順序が変わると感情の変化も変わるわけです。そして、意味も変わってしまうわけです。

 

つまり、言葉や文字の順序こそが、感情の変化を生み、そして、意味を成すわけです。