毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人生を変えたいというのは、自分の観ている景色を変えたいという事。自分を愛でる。

自分の人生を変えたい。変わりたい。でも、なかなか変われない…。そういう願いってあると思います。実際「人生を変えたい」と思っても変わるものではないではないかとも思います。今回は、人生を変えたいというのは一体どういうことなのか、という事について考えてみたいと思います。

 

その前に、なんで「人生」という言葉を使ってしまうのでしょうか。「自分」を変えたいと言う場合もありますが、「人生」を変えたいと言う場合もあって、人生を変えたいと言うのは、やっぱり自分を変えたいと言う場合と言いたい感じが違うからだと思います。

 

人生という言葉を使うのは、時間的な流れを含んでいるからだと思います。また、過去から今に至るまでの「過去」を変えたいと言っているかというとそれだけでもなく、今から未来に至るまでの「未来」を変えたいと言っているかというとそれだけでもない気がして、その意味では、これまでの過去の事、今からの未来の事、全部を変えたいという感じがします。

 

そういう意味で、今自分がいる時間的な流れは過去から未来に流れてはいるのですが、人生といった場合は、今自分が見ている過去や未来を含んだ全体という感じがします。実際、頭の中では、常に、過去の事もたくさんあるし、未来の事もたくさん想像しています。つまり、変えたい「人生」というのは、頭の中にある、過去や未来を含んだ記憶や想像上の世界だと思います。比喩的に言うと、自分の観ている景色という事です。

 

自分の頭の中で想像している、自分の観ている景色は、常に移り変わっていて、時間的な流れを持つ春夏秋冬のようです。でも、季節の変化ほどの時系列をもって明確に移ろっているわけでもなく、粘っこく過去の景色は容易に無くならず、未来は生まれて消えて本当に訪れるのか頼りにならないものです。ですが、季節のようなはっきりとした時間軸ではないとしても、自分の観ている景色は、脳内で、自分の視点から広がりのある空間を持ち、そして、常に展開する時間変化の中にあります。

 

また、今まさに体験しているこの瞬間を劇的に変えていきたい、つまり、「今」を変えたいと考える事も出来るかと思います。ですが、今、何かを劇的に変えても、例えば、今まで行ったことのない観光地に行って初めての体験をしても、また、戻ってくれば、いつも日常に戻ります。その意味で、自分の観ている景色は、日常の事、毎日の生活の事、日々の暮らしのようなもののようにも思います。確かに、頭の中で想像する自分の観ている景色は、1日2日でそう易々と変わるものではありません。

 

とは言え、人生を変えたいという気持ちはあるわけです。頭の中の、時空間的な広がりを持つ、つまり、想像上の目くるめく四次元空間の景色を変えたいわけですが、すべてを完全に変えたいわけでもなく、上に言った暮らしという意味では、今ある大事な実質的な生活、整え築いてきた実質的な暮らしは大事にしたい、という部分はあります。

 

こういう事を考える時、やはり、自分の生活や暮らし、つまり、自分自身をよく観ていないではないか、大事にしていないのではないか、愛でていないのではないかという事に、思い至ってしまいます。

 

本当は、日々の暮らしは少しずつ変わっているのに、その事に目が行っていないから、何も変わっていないように感じてしまう。実は、人生は少しずつ変わっているのに…。

 

ですが、ものの見方を変えるだけで、自分の人生が変わったと感じるほど、変わるものではないとも感じています。期待している変化は、きっと現状少しずつ変化している程度のものではないだろうから。

 

自分の生活、暮らしの土台になっているものは何か、振り返る事は大事かなと思います。人生を変えたいという願いは、自分の観ている景色の大部分を失ってもいいから変わりたい、そういう願いです。ただ、すべてを変えてしまうと、実質的な暮らしが成り立たなくなります。そういう意味で、自分自身を愛でて、よく見て、振り返る事が大切のように思います。

 

1年の事を振り返ってみると、確かに変わってきた事はたくさんあるし、その変化は人生を変えたいという願いに足るものだったりします。ですが、その上で、水ですべてを洗い流すようにその景色を変えてもいいと思っている部分もあるわけですから、自分の暮らしを支えている大事な部分は何なのか、そしてそれはちゃんと残して、残りは思い切って捨て去ってもいいと思っているんだと思います。

 

自分の実質的な暮らしや自分の観ている景色の中で本当に大事なものは何か、それはつまり自分を、これまでの自分をちゃんと愛でるという事だと思います。その上で、自分の観ている景色の中の、何を変えられるのか、何を捨ててもいいのか、たまには、物思いに耽りながらでも、深く考えてみるのがいいのではないかなと思います。