毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

目的と手段は一致させる。手段にコミットする。

人はよく、何かをするとき、また、何かに取り組むとき、何らかの目的があって、その目的の為に、手段を考える。そして、その手段を実際に行為として取り組む。つまり、ある目的の為に、ある手段を使う、と考えます。

 

ですが、この場合、目的とは、自分にとっても最も重要な事の達成の方向性の事です。その目的は自分にとって最も重要な事であり、その目的の為に、ある手段を活用するわけです。目的が重要であって、手段は重要ではないのです。

 

目的の達成のハードルが高い場合、ずっとその手段を取り続ける事になります。そして、なかなか目的が達成しません。その時間、取り組んでいるその手段は自分にとってそんなに重要な事ではありませんから、とてもつらい時間になります。人は、重要でない事にずっと取り組み続ける事にはものすごい苦痛を感じます。

 

また、目的と手段に関して厄介なのが、ある目的があって、その目的の達成の為には、ある手段が必要で、その手段を活用する為には、さらなる手段が必要となる、といった状況です、目的の為の手段の為の手段というような事です。

 

別のケースでは、ある目的があって、その為に何らかの手段を取るわけですが、その目的には、さらに上段にもっと大きな目的がある場合です。手段があって、その上に目的があって、さらにその上に目的があるという事です。

 

つまり、これらは、実際に自分が取り組む手段と、その為の目的に大きな開きがあるという事です。この開きが大きければ大きいほど、その手段による取り組みは辛いものになります。

 

これらの事から言える事は、できるだけ目的と手段は一致している方が良いという事です。結局取り組むのは、目の前の手段なわけですから、同時にそれ自体が目的であれば、手段による取り組みのつらさは無くなるわけです。

 

むしろ、手段こそが自分にとって最も重要であって、目的は無くてもいいくらいです。目的は無くても、後からとってつければよいのです。実際、実践的にはそのような事は可能であり、よくあります。

 

大事な事は、目の前に設定したその手段です。その手段は、自分が取り組むプロセスそのものです。そのプロセスに集中する事。コミットする事。その事が心地良く、充実する。そのような事が大事です。すでに、その手段に取り組む事自体が自分にとっての目的です。

 

目的と手段の関係は、物事を考えて整理する過程で現れます。要は論理的に考えやすいわけです。ですが、目的と手段は他人への説明の場合によく使うロジックである為、自分自身の想いから離れがちです。そして、その説得や説明の為に、目的と手段が乖離すると、自分自身を苦しめます。

 

なので、目的と手段は出来るだけ一致させた方が良いという事です。むしろ、目的は無くても問題ありません。手段こそ重要であり、その事にコミットする事、集中する事が大事です。