毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

お金も仕事も幸せも、人のあらゆる要素は相関があるようで無い。

仕事が出来る人はお金も稼いでいて、そして、幸せ。そのほかの事も含めて、色んな事は相関している。そんな気がします。ですが、そうとも限りません。

 

仕事をしている人がみんな同程度お金を稼いでいるかと言うと、明らかにそうではない。たくさん稼いでいる人から、全然稼げていない人もいる。相関があるとは言えなさそう。

 

仕事をしている人の方が、仕事をしていない人より、お金を稼いでいるのか。または、お金を持っているのか。これも、そうとは言えません。資産家の子どもであれば、仕事をしなくてもお金は持っているし、低賃金であれば、働いてもそんなに稼げていない。

 

その意味では、親などのリソースがあるか無いかの方が影響しているようにも見える。ですが、そのリソースが無くても稼げている人もいれば、そのリソースはあるが、稼げていない人もいる。

 

そして、お金をより持っている人の方が幸せなのかっていうと、そうとも限りません。確かにお金があった方が幸せになるのに有利なように見えます。ですが、お金がそんなにないのに幸せな人はたくさんいます。また、お金に困っていないのに幸せでない人もいっぱいいます。

 

また、仕事をしているから、もしくは、仕事が出来るから、幸せかと言うと、それもそうとは言えません。仕事をしていない人でも幸せな人は確かにいるし、仕事としているのに、全然幸せでなくて死にそうな人はたくさんいます。相関なんてありません。

 

仕事やお金や幸せという要素だけで言っても、関係づけ方によってはいくらでも相関はあるでしょうが、逆の相関のケースもいっぱいあります。その時点で、相関はあるとは言えません。

 

人間は、ゲシュタルトの能力があって、何かを明確にする能力や区別する能力を持っているわけですが、この能力によって相関を見出す能力を持っているわけです。要は、データは使いようっていうわけです。

 

ですが、上で挙げた3つの要素だけでなく、人に関係するあらゆる要素は全て、関係づけられそうで、関係づけられるとは言えないわけです。全て、相関なんて無いんです。あらゆる事は独立した事象なわけです。

 

その意味で、どんな可能性が無さそう事も、実際は、無いなんて事は無いんです。仕事をしていなくても、お金が欲しいならそれを得る事は出来るし、仕事が出来ていなくても、幸せにはなれます。もちろん、お金が無くたって幸せにもなれるし、逆に幸せで無くたって仕事は出来るんです。他の事も、あらゆる事もそうです。相関なんて無いんです。