毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

「生きる目的」について考える。自分の心や感情の動きに気付く習慣。

生きる目的やミッションについて考えると言っても、すぐに思いつくものではないと感じます。自分の中に何も無いうちに、そのようなものが育っていないうちに、目的やミッションを考えても出てくるわけがありません。

 

習慣という意味では、朝のモーニング・ページという習慣を活用して、自分にとっての目的やミッションについて考えてみるわけですが、何かありきたりな文言が出てくるだけで、何か自分にとってしっくりくるワードは出てきません。こういう作業は、時間をかけてやるものだなと思ったりしています。

 

とは言え、生きる目的を考える場合、「〇〇の為に」生きるという時の「〇〇」の事について考えるのが良いのかなと思って、あれこれ考えていると、それはそれで色々と出てきて楽しい作業ではあります。

 

仕事の中にも自分なりに生き甲斐を感じているものはあるし、自分が取り組んでいる仕事の為に生きている、と言えなくもない感じはします。私の職業は研究なので、対象としての研究をする事が、今生きている事の目的と言っても、言い過ぎではないと感じます。

 

もちろん、私には妻がいて、妻を幸せにする事、妻とともに幸せになる事、は生きる目的と言えます。

 

モーニング・ページの習慣では、とりあえずそのようにして、あれこれと、自分にとっての生きる目的、ミッションについて考えてみているわけですが、これを考える時、やはり自分の心が動くかどうか、感情が動くかどうかが重要だと感じます。

 

自分の感情が、快を感じる事、また、ポジティブに感じられる事、ドリブンされる事が、生きる目的を考えるのには重要だと思います。だから、あれこれ何かの目的を考える時に、同時に心が、もしくは、感情が動くかどうかを確認する事が大事だと思います。

 

そのように考えていくと、逆に、モーニング・ページの習慣の時だけではなくて、日常の中で、自分の心や感情がどのような時に動いたかに気付く事が大事なように思います。感情の動きですから、ポジティブに動くときもあればネガティブに動くときもあります。そのような感情の変化がある中で、ポジティブに動くときは何か、どのような事を考えた時か、何をした時か、に注目して知るようにしておくことが大事だと思います。もちろん、ネガティブな感情の動きの中にもヒントがあるかもしれません。

 

そういうわけで、生きる目的、ミッションを考えていくというのはそんなに簡単な事ではないですが、それを考えていく為には、ただ生きる目的について考えるだけではなく、自分の心や感情の動きを普段の生活の中でちゃんと気付いてよく知っておく事が大事なように思います。その意味では、そのような習慣を身につける事も重要なように思います。