毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人はみんなが経験している事を自分も経験したい。

人は、新しい事を経験したい生き物である。そう思います。

 

逆に言えば、人はとにかく、経験した事がない事を経験しない事には気が済まない生き物。そういう言い方も出来ます。

 

自分以外の人たちはそれを経験しているのに、自分だけは経験したことが無い。そういうのは、とにかく嫌なわけです。自分もみんなと同じように経験したいわけです。

 

人は、真似るのが好きな生き物ですから、他の人が何かをやっているなら、自分もそれをやってみたい。真似してみたい。こういう言い方も出来るかもしれません。

 

人間はそもそも、自分だけで、完全にオリジナルなんてことはないから、他の人がやっている事は自分もやりたい。経験したい。

 

そうする事で、人は落ち着きます。それを経験するまでは落ち着かなかったのに、経験した事によって、落ち着きます。安心します。

 

言い方を変えると、うらやましくてしょうがないわけです。他の人はそれを経験していて、自分は経験していない。それを、自分も経験してみたいわけです。経験していない事はいかようにも分からないわけですから、経験する事で知りたい。分かりたい。そういう事で落ち着くわけです。

 

経験していない状態が、いかようにも耐えがたいわけです。ですから、自分もそれを経験する事で、もうそれ以降耐える必要が無いわけです。そして、落ち着くわけです。

 

一体何に耐えられないのか。羨ましさかもしれません。羨望です。でも、経験する事でその羨望から解放されます。楽になります。

 

そういう意味で、戦略としては、とにかく色んな事を経験する。生き方戦略としては、そういう事になります。色んな事を経験すれば、それで確かに多くの事を知るわけですから、また、分かるようになるわけですから、安心できます。安心して生きていけます。ですが、経験するまでは、安心して生きていけないわけです。

 

あんなに、経験したくてしょうがなかった事が、いったん経験すると、もうこれ以上求めなくなる。不思議と落ち着くわけです。安心がもたらされるわけです。

 

人は寂しがり屋だし、不安だし、何でもうらやましがるし、欲望でいっぱいなわけです。

 

とは言え、経験したい欲望をそのまま放置していても、また次から次へと、新たな事を経験したがります。きりがありません。

 

そして、全ての経験する事も出来ません。

 

ですから、結局、自分がすでに経験した事を大事にしないといけません。新しい経験も大事ですが、経験した事を大事にする。その事も、ひょっとしたら新たに何かを経験する以上に大事です。